|
2019年1月21日 ・・・ 舌で読む
昨年秋、NHKの人気アナウンサーである島津有理子さんが、
二十年間勤めたNHKを退局し、
医師を目指して大学で学ぶということを発表し、話題となりました。
東大卒で才色兼備の島津アナは、
昨年の大河ドラマ「西郷どん」での番組最後の「西郷どん紀行」で
語りも担当しておられたので、なじみのある方も多いと思います。
彼女が退局を決意したキッカケは、
司会として担当していた「100分DE名著」において
神谷美恵子著「生きがいについて」を紹介し、
そこに書かれていることで自らの「生きがい」を再び見つめ直し、
44歳にして医師への道を志すことを決意したとのことです。
これまでのキャリアを捨て、
44歳にして医学部受験を目指すというのはとてつもなくすごいことです。
ご存じのように医学部は六年制ですので、
医師になるのはどんなに早くても50歳以降ということになります。
[学士入学(編入)だったら一二年程度早くなります]
何が彼女をそこまで揺り動かしたのか、
またそのキッカケとなった「生きがいについて」というのは
どんな本なのだろうか、
そのことに興味を持ち、「生きがいについて」とともに、
それを紹介した番組「100分DE名著」のテキストを買い求めました。
<動画 100分DE名著 神谷美恵子 生きがいについて>
神谷美恵子はこの本を、
当時は隔離施設であったハンセン病の療養所「長島愛生園」に通い、
七年間かけて書き上げました。
テキストには神谷美恵子のこのような言葉が書かれています。
どこでも一寸切れば私の生血がほとばしり出るような文字、
そんな文字で書きたい、私の本は。
効率、スピードばかりが追い求められる今の世の中で、
この言葉はあまりにも鮮烈です。
そしてその言葉の通り、
「生きがいについて」に書かれている言葉は極めて重く、
とても簡単に読み流すことはできません。
今はテキストとともに噛みしめるように、
少しずつ少しずつ目を通しているところです。
余談ですが、
今日夕方、広島市内中心部を通っていたら
献血センターの前でいつものように献血の呼びかけをしていて、
今日は体調がとてもよかったので、
血漿の成分献血をしてきました。
先月末にも献血をしたばかりなのになぜ再び献血をしようと思ったのか、
ベッドに横になりながら考えてみると、
きっと昨夜読んだ上記の言葉、
その中の『生血』という単語が脳に深く刻み込まれていたからではないかと
いうことに思い至りました。
珠玉の言葉が詰まったこの本、テキストの中で、
今とても心に響いているひとつのことをご紹介いたします。
長島愛生園に近藤宏一というハンセン病患者がおられ、
彼は病の後遺症で目が見えず、指先の感覚も麻痺していました。
その彼が、ある日聖書を朗読してくれるのを聴き、
自らの力で聖書を読んでみたいという抗しがたい衝動に駆られます。
私は聖書をどうしても自分で読みたいと思った。
しかしハンセンで病んだ私の手は指先の感覚がなく、
点字の細かい点を探り当てる事は到底無理な事であったから、
知覚の残っている唇と、舌先で探り読むことを思いついた。
<近藤宏一 『闇を光に』>
彼が舌読を始めた理由は、聖書を読むこととともにもうひとつ、
彼が始めた長島愛生園のハーモニカバンド「青い鳥楽団」で指揮者を務め、
その指導をするために、どうしても楽譜を読まなければならなかったのです。
以下写真手前までテキストからの抜粋です。
「舌読」を始めてしばらくしたとき、
近藤が手にしている点字本を覗き込んだ同室の老人が、
「これはどうした。 真っ赤じゃないか」
と声をかけてきます。
このときのことを彼はこう記しています。
血であった。
唇の皮膚はやぶれ、舌先は赤くただれているという。
二、三日前からいたみをかんじないわけではなかった。
やはり私にはむりだったのか、
と言い知れぬむなしさが心のすみからこみ上げてくる。
しかしやめられない。
あの十二名の仲間たち私の楽団、
今やめたのでは悲しみと後悔とが生涯私の中に残るにちがいない。
試練とはこういうものだと私は自分をむちうつしかなかった。
<近藤宏一 『闇を光に』>
『本は著者が学び、体験したことのエキスです。
ですから読書は知恵をインプットするための最高の手段であり、
たくさん本を読むことは自らを成長させる最も近道です』
一般的にいわれるこの考え方は、これはこれで正しいものだと思います。
けれどその陰で、本当にそこに書かれていることを自らの血や肉にし、
自らの成長と糧とする、そういったことができているのだろうか ・・ 。
舌と唇から生血を流しながら、
まさに “なめるように” 読んだその本、聖書、楽譜、
彼がそこから得たのと同程度のものを、
自分たちは日々大量に目にする文字から得ているのだろうか ・・・ 。
神谷美恵子がハンセン病の人たちと触れ合い、
七年の歳月をかけ、
生血をほとばしらせるような思いで文字にしたように、
自分は近藤宏一氏の生き様に衝撃を受けても、
そこで感じたことを簡単な言葉で表現することができません。
ただ胸の中で波打つ心臓の高鳴りを覚えるだけです。
神谷美恵子は本の中で、
人は変革体験を経て使命感を見いだすと述べています。
変革体験とは突然天から降ってくるものではなく、
近藤宏一氏が唇と舌でなめ、感じ取ったように、
極めて身近なもの、
それを深く深く見つめ、味わう中にこそあるのではないでしょうか。
今の自分に言葉で言い表せるのはその程度です。
2019.1.21 Monday
|