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2019年1月6日 ・・・ 新年、そして半年

新年三が日を長崎県の平戸で過ごし、
4日夜、疲労困憊の状態で広島に戻ってきました。

「新年幸先のいい ・・・ 」と言うように、
多くの人が、年の初めの出来事でその一年の運気や流れを読み解きます。
それを意識して、今年初めに考えたことを書いてみます。

平戸では普通のビジネスホテルに泊まり、
朝は簡単な朝食が付いていました。
元旦も普段より30分遅れの7時から朝食スタートで、
朝食会場に行くと、数の子にかまぼこ、鶏肉と竹の子の煮物、
少しばかりお正月らしい料理が並んでいました。

数の子は子どもの頃から大好きです。
ポリポリと、すべての卵を噛み尽くす感じで時間をかけて楽しみます。
竹の子と鶏肉もよく合いますね。
竹の子は、春からずっと冷凍保存しておくのでしょうか。
竹の子も数の子同様歯応えが命であり、
竹の子をじわっと噛みしめる、これは快感です。


食べ物をしっかりと噛むことは、
心身の健康を保ち、よりよく生きるために必要欠くべからざるものです。

食べ物をしっかり咀嚼することによって胃腸によけいな負担をかけることなく、
食物の持つ栄養を十分吸収すことができます。
また顎の筋肉を使うことによって脳への血流がよくなり、
刺激を与え
顎、咀嚼器が発達することで頭蓋骨も大きくなり、
脳が大きくなることができます。

その噛むことによって歯、歯茎で得られる歯応えという快感は、
生きる上での根本であり、
これは心理学者フロイトの説いたリビドー、
生きるための根本欲求、性衝動に相当するのではないかと感じました。
  <リビドー - Wikipedia>

フロイトの心理的発達理論では、
それを口唇期、肛門期、男根期(エディプス期)、潜伏期、性器期という
5つの成長段階に分けて考え、
これは種保存本能である性に関することと、
肉体的には栄養吸収と排泄機能を根源的なものとして捉えています。

自分は心理学の専門家ではありませんが、
噛むことは、この中のどれにも属さないというのは不思議な気がします。
口唇期に感じる口唇性欲の延長と捉えてもいいものなのでしょうか。


もし何らかの事情で噛むことができなくなり、
胃瘻(いろう)によって栄養を摂取しなければならなくなると、
きっと生きている感覚が著しく減退するものと思われます。

そう考えてみると、
人類は有史以来少しずつ食の軟化が進み、
食事の際の咀嚼回数が減り、
近年はそれが著しくなり、顎が細くなり、
そこにすべての歯がきちんと収まりきらず、
歯並びの悪い子どもが増えているという現実は、
種としての人間力の減退と考えられます。


昨年末に「ロックな生き方」を目指そうと感じ、
正月に数の子、竹の子をボリボリと囓りながら感じたのは、
己が本能の求めるものをより敏感に感じ、
その感じたままに素直に生きていきたいということです。

禅でも他の多くの宗教、またスピリチュアルな世界でも、
今この瞬間を感じながら生きることを説いています。

その大切さ、それが本当に実践できているかどうかは、
食事の時によく分かります。
箸を動かし食べ物を口に運び、
それをひと噛みひと噛み味わい尽くす、
そのすべての動作、感覚に対して神経を研ぎ澄ますこと、
これが「今を生きる」ということの、神髄とまでは言えなくても、
それを振り返り、実際にできているかどうか
確かめるための象徴だと言えるでしょう。

食べ物の歯応え、その刺激が脳へと染み渡るのを感じ、
その当たり前の感覚に大きな喜びを感じられるようになりたい、
それがこの年初最初に感じたことです。


そして4日に疲れ切って広島に戻り、
翌5日はいろいろと溜まっていたことを整理し、
夜は知り合いの誕生日パーティーに参加して美酒を味わいました。

そして今日6日は、
多くの犠牲者を出した広島豪雨災害からちょうど半年にあたる日です。

広島のほとんどの被災地では
災害復旧ボランテイアの受け入れが終了していますが、
16名の死者と1名の行方不明者を出した小屋浦地区ではまだ
ボランテイアによる復旧作業が続いていて、
今日は朝から小屋浦に行き、
一日スコップを握って活動してきました。

これまで被災地への復旧ボランテイアは十回以上行きましたが、
一度も写真を撮ったことはありませんでした。
けれど今回は、これまでの活動は車椅子介助の会「ほのぼの広島会」
メンバーの一人として参加したということで、
会のホームページにも載せる予定なので、
初めて写真を撮りました。



今日は少し山肌を登ったところにある墓所の土砂撤去作業をしました。
山肌の一部が崩れ、樹木や土砂によって墓石や周りのものが倒れたり
移動したり、土砂の中に埋もれてしまったりしていて、
それらの復旧作業です。



今ボランテイアに来ている人はみなベテランばかりで、
休憩はほとんどなしでスコップで土砂を掘り続け、
久し振りに持てる体力のすべてを使い切った感じです。

作業は三時過ぎに終わり、
今日は被災してから半年の月命日に当るので、
夕方には地域住民の方たちは、
犠牲者慰霊のための灯籠に灯りを灯されるとのことでした。

小屋浦には親しくしていたOさんという方が住んでおられ、
豪雨被害で一階のすべてが土砂で埋まり、自動車が流され、
濁流に飲まれた二人の方の命を救ったものの、
お一人の方が目の前で亡くなられるのを助けることができず、
それで大きな心の傷を負われたとのことです。

とても明るく元気な方でしたが、
災害が起きてからこの半年間、まだ一度もお目にかかれていません。


昨年の日本は災害の多い年でしたが、
今年はどうなるでしょう。

心配していてもどうにもなりません。
ただ今を懸命に生きるだけ、
自分にできることをただやるだけです。

2019.1.6 Sunday  
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