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2018年7月12日 ・・・ 女性の時代<2>

女性の人権が抑圧されている例は枚挙にいとまがありません。
そんな中、まず思い浮かぶのがイスラム社会です。

女性性器を切除する割礼、
運転免許の制限、
女性は教育の機会も平等に与えられず、
ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、
その女性の教育権利回復を訴え、
狂信的テロリストによって頭部に銃弾を浴びました。

四年前駐在していた学校のある南インド ビジャプールは、
古代イスラム王朝のあった町で、
今も市内中心部に暮らす人たちの半数以上はムスリム(イスラム教徒)です。

多くの成人したムスリム女性は真っ黒なブルカというベールで全身を覆い、
一見すると極めて没個性な感じです。
けれどそんな制約の中、
手首に着ける腕輪(バングル)やブルカの袖に施されたわずかな刺繍に
女性らしさ、自分らしさを演出しようと懸命になっていました。



部外者から見ると、なんとけなげな、
そして可哀想な・・・と思うのですが、
それはイスラムを信仰しない者の勝手な印象であり、
当のムスリム女性たちからすると、
「これは神と女性たちとの間で交わされた契約であり、男性には関係ない」
との声を聞きました。

しかしながらすべてのムスリム女性が同じ考えではなく、
中にはより自由を謳歌したいと考える女性も多く、
その勢いは時代とともに強まっています。

つい数日前のニュースです。
イランに暮らす18歳のMaedeh Hojabriさんという女性は、
SNSにダンスをする動画を投稿し、
そのため政府によって逮捕・拘留されてしまいました。

イスラム共和制国家に於いては、
女性は公共の場では頭にかぶり物をする必要があり、
女性のダンスも禁止されています。



この逮捕劇を受け、彼女を批判する意見とともに、
これに反発し、SNS上ではダンスを踊る動画が
数多く投稿されているそうです。


インドの女性蔑視の風潮は苛烈であり、
多発するレイプ犯罪は近年世界的に注目されるようになりました。

インドでは学齢期の子どもたちを労働の場にかり出す児童労働が多く、
特に女児の未就学比率が高くなっています。

そして貧しい家庭では、
まだ幼い女の子を身売り同然で労働者として提供したり、
幼児婚といったことが社会問題になっています。

インドの婚姻に於いては、
ダウリという女性側が持参金を持って男性側に嫁ぐという制度があり、
その相場となる金額が高価であるがゆえ、
少額のダウリしか用意できなかった女性が嫁ぎ先で迫害され、
殺されるといった事件が頻繁に起きています。

ダウリの習慣、相場は、インドの同じ州内でも地域によって異なるそうで、
自分の行くインド最南端タミルナド州のホームで働く二十代前半の女性は、
月給が日本円で約一万円程度であるにも関わらず、
新車の普通車が買えるぐらいのダウリが用意できなければ結婚できないと
真剣に嘆いていました。

また今はほとんどなくなったとのことですが、
夫を亡くして寡婦となった女性は、
亡くなった夫に連れ添うという意味で、
夫の遺体とともに生きたまま火葬されるサティという習慣がありました。

かよう女性の人権弾圧の激しいインドでは、
男児を希望する夫婦が多く、
結果として男女の出生比率が大きく偏り、
州によってはほぼ10対9の割合にまでなっています。

そしてその傾向に歯止めをかけるため、
インドでは出生前診断で男女の性別を調べたり、
それを医師が患者に告げることを法律で禁止しています。


日本では、「ミスコン」というのが、
女性の価値を容姿のみで判断している、
性の対象物としてしか見ていないといった理由で、
強い風当たりを受けるようになりました。
<東京芸大の学園祭でミスコン中止 Yahoo!ニュース>

またF1でレースクイーンが廃止になったのも同様の理由でしょう。

今から半世紀ほど前、
自分が子どもだった頃は、土・日の午後など、
よくテレビで「ミスコン」を放送していたように記憶しています。

けれど子供心にこの「ミスコン」が大嫌いで、
テレビでそれが映ると必ずチャンネルを換えていました。
容姿という、努力でなかなか変えることのできないものを競うということに、
空しさと悲しさを感じていたのです。

それでも現実社会を見ると、
雑誌のモデル、CMタレント、アイドル、ニュースキャスター、
それらの場で活躍する女性はみな容姿の秀でた人ばかりで、
そんな人たちも加齢ともにその舞台から姿を消していきます。

女性の美しい容姿はそれなりの価値を持っています。
これは事実であり、よく考えてみたならば、
問題となるのは女性の容姿に価値を置くことではなく、
それのみが過剰に評価され、
それ以外の価値をあまり認められないというところにあるのだと感じます。

やはり七十年前にボーヴォワールが説いたように
いまだ女性は「第二の性」であり、
女性は主たる男性の関心を引き、喜ばせることに価値がある、
そんな傾向が残っているのでしょう。

容姿は女性の価値のひとつ、
スポーツで優劣を競うが如く、
何の摩擦もなく「ミスコン」が行われる社会になることが理想です。


そのためには、女性自身がその呪縛から逃れる必要があります。
いつも気になるのですが、
本でもネット上でもテレビでも、
女性のプロフィール欄に年齢を記されないことが多いのはなぜなのでしょう。

昨今個人情報の保護が強く言われ、
それが理由であるならば、
男性の年齢情報も記されないはずですが、
年齢が記されているのは男性のみというのをよく目にします。

自分が女性を年齢で見ることが
ほとんどない人間なのでそう感じるのでしょうが、
女性自身も自分に年齢を超えた価値があることを認め、
堂々と年齢をカミングアウトしていただきたいものだと感じます。


新しい陰の時代は女性の時代、
無から有を産む女性の時代の幕開けは、
大きな産みの苦しみを伴います。

そしてそれを乗り越えるためには、
やはり女性自身の意識改革と行動が求められます。

これからそれがどの様に進んでいくのかは分かりませんが、
時代の風は確実に女性に向かって吹いています。
陰の時代は多様化の時代でもあり、
「男性に負けない」のではなく、
これまでの男性中心の価値観とは異なる、
新たなものを切り拓いていっていただくことを願います。

2018.7.12 Thurseday  
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