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2018年2月14日 ・・・ 海外支援<2>

これまでインドでは数多くのことを学んできました。
それはこのホームページではバラバラに書かれているので、
近いうちにまとまった文章にしようと考えています。

そのインドで学んだ数多くのこと、
それをもし一言で言うならば、
人間が本来持っている心の純粋さに触れさせてもらった、ということです。

ホームや学校で接した子どもたちの輝くような笑顔、
イキイキと生きる姿、その中に宿っているものは、
まさに神性、仏性と呼ぶにふさわしいものです。

人間はどこの国の子どもでも、
生まれてすぐの頃は、その様子にほとんど差はないものと思います。
けれど少しずつ社会の中でいろんなことを学んでいき、
大人への階段を昇り、社会性に目覚めていきます。

日本の子どももインドの子も、
幼児期の何をも恐れぬ無邪気さにはあまり変わりがないように感じます。
けれどその上の段階、小学校に上がって以降の日本の子どもたちは、
インドの子どもたちと比べると背負っているものが大きく、
あまり伸びやかに精神を発露できていないような印象を持ちます。

それは思うに、心の問題以前に、
インドの人たちは豊かな自然、大地に根ざして暮らし、
幼い頃から体を使い、正しい姿勢を保つだけの肉体を鍛えられる環境にあり、
心の土台となる身体文化がしっかりと生きているからだと感じます。

たとえば大相撲で番付上位にモンゴル人力士が多いのは、
やはりモンゴルには身体文化が生きていて、
日本人に地力が勝るからなのだと思います。
そのモンゴル人の地力の逞しさに、
インド人の姿が重ねて見えるようです。


インドの子どもたちのフレンドリーさは、
十代後半ぐらいになっても変りません。
これは伸びやかな姿勢の下、
脳にある思考、お腹にある感情、そして足下に広がる大地、自然、
それらが一体となり、自然な生き様を体現できているからなのだと感じます。

そのフレンドリーな明るい笑顔は可愛い幼子のものと変らず、
そういった無邪気な面と同時に、
何か作業をする時には腰がしっかりと入り、
実に逞しい大人びた姿を見せてくれるのです。


2010年、ホームの近くの村を歩いている時に出会った女の子、
外国人などめったに通ることのない村で突然声をかけ、
最初はほんの少し驚いた様子でしたが、
すぐに落ち着いた表情で写真を撮らせてくれました。



ブロックで造られたそんなに豊かではなさそうな家で暮らす彼女、
この娘の心の中にはどんな世界が広がっているのでしょう。
その静かで落ち着いた表情、瞳から、限りなく深い精神性を感じ、
“凜(りん)”という言葉が頭に浮びました。

インドでは彼女のように、
凜とした姿を見せてくれる子どもと時折出会います。
これは教育の目指すべき最終ゴールのひとつだと感じます。


インドでは、そんな逞しくも純粋な子どもたちと触れ合い、
それに心打たれ、可愛い子どもたちの前で何度も涙をこぼしました。

昨年もトリチーのホームで子どもたちに別れを告げた時、
小さな子どもたちみんなから
「ブラザー・ノー・ジャパン」と言われ、
涙をこらえることができませんでした。



日本では日々喧噪の中、
自分の生きる価値を見つけ、
それを高めることに必死になっているような気がします。

そしてそれを見つけられない人は、
社会から落ちこぼれたような気分になり、
登校拒否、出社拒否、鬱、リストカット、そして自殺に至る場合もあり、
様々な心の苦しみを抱えてもがいています。

インドでは日々イキイキと生きる喜びを体現している子どもたちに囲まれ、
自らの価値を求めるまでもなく、子どもたちから
「あなたはただそこにいるだけで価値があるんだよ。
 あなたは人に大きな喜びを与えることのできる存在なんだよ」
ということを全身で教えてもらえます。
これは生きる上でこの上のない喜びです。

日本人の、自らの生きる意味を見失っている人たちに、
この喜びを体験していただきたいと切に願います。

学校で疎外感を覚えている子どもたちが、
インドでホームの子どもたちに囲まれ、ワイワイ大喜びされたら
どんなことを感じるでしょう。
日々の生活に喜びを感じられない人が、
実に質素な暮らしの中でも喜びを見いだしている子どもたちと接したら、
何を思うでしょうか。

日本はインドから学ぶべきことがたくさんあります。
支援とは一方的なものではなく、
互いに尊重し合い、学び合う交流の上にあるのが理想です。


インドでもらったたくさんの宝物をもう少し具体的に書くと、
2013年の訪問で、子どもたちに囲まれて一緒に食事をし、
その喜ぶ子どもたちの姿を見て、
この上のない最高の幸せを感じました。
  <最高のもの>



これが自分が望んでいたものだ、
最高の幸せとは他と比べる中にあるのではない、
モノでもない、喜びを分かち合う中にあるのだということを、
心の深いところから感じ取ることができました。

そしてこの時から自分は世界の貧しい子どもたち、
恵まれない人たちのために、生涯に渡って支援し続けようと誓いました。

そしてそのまた数ヶ月後、
大阪のアジア協会からインドの学校駐在の話が来て、
到底行けるような状況ではなかったのですが、
貧しい子どもたちへの支援を誓ったからには簡単に断ることができず、
返答するのに苦慮していたところ、
ここでも不思議な出会いがあり、
三ヶ月半インド カルナータカ州に出向くことになりました。

そこでの体験も自分にとってかけがいのない貴重なものとなりました。
駐在したコスモニケタン日印友好学園の子どもたちも底抜けに明るく、
抱えきれないほどの喜びを与えてくれました。

学校に着いた初日に歓迎式典があり、
その直後に子どもたちにカメラを向けると大喜び、
その時撮った写真が、今もアジア協会のホームページのトップを飾っています。



ここコスモニケタンでは学校で子どもたちと交流するとともに、
子どもたちに連れられて、
村にある子どもたちの暮らす家を何度も訪ねました。

そこでの子どもたちと家族の人たちとの暮らしぶりに衝撃を受け、
帰国する時に、関空ですべての貴重品が手元からなくなった際、
その子どもたちの貧しくも幸せに暮らす姿を思い出し、
すべてを失った状態であるにも関わらず、
これまで感じたことのないような至福感に包まれ、
その後起こった奇跡で危機的状況から無事脱することができました。

この時に、
人間は生きているだけでいかに幸せなのかということが
身体の芯から感じられ、
また喜びに包まれたなら、
どんな不安も吹き飛んでしまうということも知りました。

今は日本の日常の暮らしの中で、
その時の至福感は消えてしまいましたが、
一度己の体でつかんだその体験は、
生涯消えることのない貴重な宝物です。


このように、自分の中には
インドでもらったたくさんの宝物が詰まっています。
そして自分が接したインドの子どもたちの中にも、
少しはいい思い出が残っているのではないかと感じます。

これはこれで、これまでの活動は価値あるものだと感じていますが、
これからは、こういった自分だけ、限られた子どもたちだけではなく、
より幅広く、インドをはじめ、大きな問題を抱えている国に対して
支援をしていければと考えています。

まだ具体的なことは何も決まってはいませんが、
これは自分の魂から湧き出る思いであり、
自分に与えられた天命のひとつだと感じています。

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