ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2017.10.24



ヨガナンダ



2017年10月24日 ・・・ それでも、私は憎まない

今世界では、シリアやイエメン、南スーダンなど各地で紛争が起こり、
20カ国、年間およそ15万人もの人たちが紛争の犠牲者となっています。

最終戦争の地と言われている中東では、
イスラエルにいるユダヤ人とガザ地区に暮らすパレスチナ人との間に
今も深い憎しみの溝が横たわっています。

パレスチナ人が暮らす、と言うか隔離された状態になっているガザ地区は、
360平方kmほどの狭い横長のエリアで、
隣接するイスラエルとエジプトとの国境には
高いフェンスが張り巡らされています。



その国境を越えるための検問所はイスラエル側に二ヶ所、
エジプト側に一ヶ所設けられていて、
そこを通るには、事前の手間のかかる申請手続きと
厳しくも理不尽な検問での検査を受けなければなりません。

エリアの北西側は地中海に面していますが、
自由に海に出られるのは岸から三海里まで、
それより沖は武装したイスラエル軍の船舶に見張られて、
ガザ地区は、世界最大の収容所と呼ばれています。


このガザ地区で生を受けたイゼルディン・アブエライシュ氏は、
極端に生活物資が不足する中、
家計を助ける労働に従事しながら勉学に励み、
カイロ大学医学部で医師の資格を取得し、
その後もロンドン大学やハーバード大学でキャリアを重ねます。

その間、厳しい検問を通りながらイスラエルの病院に勤務し、
八人の子どもたちを養いながら両国間の問題解決に向けた
努力を続けてきました。

それでも、私は憎まない それでも、私は憎まない
あるガザの医師が払った平和への代償
(亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

イゼルディン・アブエライシュ 高月園子

亜紀書房 2014-01-18

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2009年、23日間に及ぶイスラエル軍のガザ侵攻が起こります。
町が破壊され、一般市民にも銃弾やミサイルが向けられ、
死者千数百人にものぼる大量の犠牲を出すことになります。

そのガザ侵攻の際、イゼルディン氏は子どもたちと自宅に避難し、
折々の緊迫した情勢をケイタイ電話を通し
各国のジャーナリストに伝えました。

そしてイスラエル軍が停戦を決める二日前の1月16日、
医師であるイゼルディン氏の自宅にミサイルが撃ち込まれ、
幼い娘三人と姪の一人を一瞬にして亡くしてしまいます。

その直後、負傷した他の子どもたちを医療設備の整っていない
ガザ地区の病院に担ぎ込み、
その場から懇意にしているイスラエルのニュースキャスター
シュロミ・エルダー氏に電話をかけてガザの悲惨な状況を伝えました。

その時シュロミ氏はニュース番組の生本番中だったのですが、
イゼルディン氏からの電話を取り、
その言葉を放送を通して全国に流しました。

そしてそれはYouTubeを通して世界の多くの人たちに
衝撃とともにガザ地区の現状を知らせる大きな役割を果たすことになります。



シュロミ氏の言葉です。

あの放送は、過去八年間にハマスにより国内に撃ち込まれたロケット弾に対する怒りが大きすぎて、パレスチナのことはいっさい聞きたくないと思っていたイスラエル人に莫大な影響を与えた。
もともと大多数のイスラエル人はガザ攻撃に賛同していた。
だが今、初めて、ガザで何が起きているのかを理解した。
イゼルディンの声とわたしの顔が効果的だったそうだ。
彼の苦しみを耳にしながら、わたしは泣くのをこらえるのがやっとだった。
まさにその苦しみが番組を見ていたイスラエル人の心をも動かしたのだ。
首相さえもが、あの場面を見ながら泣いたと言っていた。
ゴールデンアワーの放送でもなかったのに、六、七ヶ月たった今なお、あの場面を生放送で観たといろんな人に言われる。
あの六、七分間のテレビ放送がその後の停戦をもたらしたに違いない。



愛する三人の娘を殺されたイゼルディン氏は、
それでもイスラエルを憎まない、憎しみからは何も生まれないと言います。

娘たちと姪を死に至らしめた今回の悲劇により、わたしの信念はますます深まり、分断に橋を架けようとする決意は固まった。
暴力は不毛で、かつ時間と命と資源の無駄使いであることを、わたしは骨の髄まで身に沁みて知っている ・・・

死ぬのはわたしの娘たちで最後にしてほしい。
この悲劇が世界の目を見開かせてほしい。

もし娘たちがパレスチナとイスラエルが和平に向かう最後の犠牲者だと知ることができれば、わたしは彼女たちの死を受け入れよう。



敵を赦(ゆる)し、受け入れること、
これは極めて困難であり、愛の極致とも言えます。

十年ぐらい前、いつも参加している積極人間の集いで、
突然見知らぬ男に家に押し入られ、
娘さんを凶刃によって殺められたお父様が話をしてくださいました。
その事件は当時も、そして今も未解決のままです。
  <廿日市女子高生殺人事件 - Wikipedia>

お父様は事件の概要と、
なんとしても犯人を見つけ出したいという思いを懸命に語られました。
そして会の後半は参加者全員が一言ずつ感想を述べ、
締めくくりは、
会の主催者である広島キリスト教会の植竹利侑牧師のお話です。

植竹牧師は立派な宗教家であり、
また教誨師として数多くの死刑囚とも接してこられた人格者です。

植竹牧師はお父様に向かい、淡々とした口調でこう述べられました。
「お父様、どうか娘さんを殺めた犯人を赦してあげてください。
 犯人を責めることは誰にでもできます。
 けれど犯人を許すことができるのは、
被害に遭った娘さんのお父様だけです」

この言葉、憎しみからは何も生まれないということを心の奥から信じ、
実践してこられた植竹牧師だからこそ言えた言葉です。
この言葉をお父様がどのように受け取られたかは分かりませんが、
自分にとっては、一生忘れることのできない
重い響きを持つ言葉となりました。


今週末10月29日(日)、午後5時から広島国際会議場で
イゼルディン・アブエライシュ氏の講演会が行われます。



イゼルディン氏は朝8時半に平和公園に献花をし、
その後講演会まで何組かの会談をされるので、
自分はそれらを記録として写真に収めることになっています。

「それでも、私は憎まない」

二ヶ月前、「愛は地球を救わない」ということを書きました。
そこでの愛とは、肉体的な愛、エロスの愛です。
敵をも憎まない思い、これもまた愛であり、
その愛は神の愛、アガペーの愛だと感じます。

究極の愛、究極の平和とは、
憎しみを捨てた世界にあるのでしょう。



2017.10.24 Tuesday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.