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2017年10月7日 ・・・ 自らの考えで生きる

『わんぱくでもいい、逞しく育って欲しい』
その昔、こんなコピーが流行りましたが、
その言葉になぞらえるなら、
『ダメ人間でもいい、自分の生き方を貫き、絵になる人生を送りたい』
刹那的ダメ人間に憧れる自分にとって、これが心の奥を流れるポリシーです。

ダメ人間というのは否定的言葉ですが、
どんなものにも裏と表があり、
世間からダメ人間と評される者の中にも必ずいい面があります。

いい意味でのダメ人間とは、
人からダメと評されようと気にすることなく、
己の考え、生き方を貫くということ。

世間の常識、価値観より、
自分の価値観、感性を大切にして生きることができること。

人間は誰しも弱い面を持っています。、
それを隠すことなく、正直に人前にさらすことができるということ。

誰しもが安定を望む世の中で、
己のダメさ加減を人前にさらして堂々と生きられるというのは、
それだけで十分魅力的だと感じます。


世間の流れや権威に迎合し、
常識と言われるものを何の疑いもなく信じ、受け入れるのは、
波風を立てず、
自分の頭をまったく使うことなく生きていける実に楽な方法です。
いわゆる『長いものには巻かれろ』という生き方です。

けれどそれが本当の意味でのダメダメな生き方ではないのかなと、
ダメ人間に憧れる自分は思うのです。

特に今のようにすべての価値観が多く変わろうとしている時、
過去からのものを何も考えることなしに無条件で受け入れるのは、
弊害が大きいのです。


昨日は福祉関係の大きなイベントがあり、
知り合いが多数参加するので、
カメラを持って見学に行きました。

きちんとした会なので、最初の代表の方の挨拶に続き、
何人かの来賓のご紹介へと続きます。
衆議院議員○○大臣、県議会議員、市長、
それぞれ本人は出席おられず、みなご令室と呼ばれる奥様の紹介です。
そして市長の挨拶の代読は担当部署の課長さんでした。

その次は電報の紹介、
それも地元出身の元大臣、
当然ながら型どおりの文面です。

これらご来賓の方たちは一番いいところに席を設けられ、
最初はみなそこに座っておられましたが、
いろんな会に顔を出さなければならないのでしょう、
何人かは途中退席され、
最もいい場所の席がポカッと空いていました。


こういった代議士に対する儀礼的な扱いというのは、
この会だけではなく、どこででも一般常識として行われているものですが、
自分はこういったことが昔から大嫌いです。

代議士にとっては顔を広め、
集票につながるということなのでしょう。
主催者にとっては“偉い先生”に来てもらったというのが権威になり、
いつか便宜を図ってもらえるということなのかもしれません。

けれどこれは本来の政治のあり方とは大きくかけ離れたものです。
代議士は有権者の代表であっても、
それで一段上の立場になったわけではありません。

まったく心に響かない挨拶をし、
顔つなぎをすることに貴重な時間を費やすのなら、
その間、国政や任された自治体の運営をいかにしていくべきか、
そのことのみに労力を費やした方がはるかに有益です。

政治家は、すべては選挙に勝つため、
そして地元選挙区、支持してくれている人たちに
利益を誘導するために動くという今の現状では、
本来国の仕事をするための国会議員は地元の県のため、
県会議員は地元の市町村、市会議員は地元の選挙区のためだけ仕事をする、
といったことになってしまいます。
また実際そうなっています。


こんなふうになってしまったのは、
やはり有権者の意識が低いからだと感じます。

政治に限らず、組織というのはできた瞬間から腐っていくものです。
自浄能力がほとんどない組織に権威を与え、
その権威を無意味な形で崇め、
本来の役割とは違うところで利用しているだけでは、
内部に大きな歪みを生み出すことは無理のないことです。

ここ数ヶ月でも、議員を巡るスキャンダルはいくつもありました。
自分の秘書に「このハゲー!」と暴言を吐いた女性議員、
他の議員のスキャンダルには厳しい追及をしても、
自らの不倫疑惑やガソリン領収書問題にはほとんど口を閉ざした女性議員、
立派な学校を出で光る議員バッチを胸に着けていても、
実際の行動は一般市民にも劣る最底辺です。

元アイドル議員と不倫スキャンダルを起した神戸市議、
それがキッカケで不正経理がバレて議員辞職。
そしてそれに対して行った同僚議員たちの調査はわずか二時間、
  <調査わずか2時間“身内”に甘く 橋本元神戸市議疑惑>
みんな同じようなことをやってるから深く追求できないんでしょう。
情けない限りです。


人間は弱いものです。
弱いがゆえに権威を求め、
それを得たならばそこに安住してしまいます。
また周りの人間も、その権威に己の価値観を依存させてしまい、
その結果、その権威はより強固なものとなるのです。

たとえ人からダメと評されようと、
自ら感じ、考え、それに基づいて生きるということ、
それが多少世間の常識から外れていようとも、
人間はみなそれぞれ個性があるのだからと受け入れる度量、
その強さがダメ人間の魅力だと感じます。


前項「素のままの自分」で、
ダメ人間が描かれている『インド怪人紀行』をご紹介しました。

インド怪人紀行 (怪人紀行シリーズ) インド怪人紀行 (怪人紀行シリーズ)
ゲッツ板谷 鴨志田 穣 西原 理恵子

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そこで著者のゲッツ板谷氏とともにインドを旅した同行者三人の内の一人が、
カモちゃんの愛称で有名な故鴨志田穣氏です。
世界を渡り歩くアル中のカメラマンで、
42歳の若さで生涯を閉じた漫画家西原理恵子さんの元旦那です。
この人もすさまじい生き方です。
  <鴨志田穣 - Wikipedia>

このカモちゃんが、本の中でヘロイン体験を綴っていて、
その中の一文が、彼なりのダメ人間ルーツをよく表していて、
とても心に残ります。

僕は今まで人の言うこと、特に大人の言うことには一切聞く耳を持たず生きてきた。
恐らくこれからもそうやって生きて行くことになると思う。
大人達の大半は、世の中でしてはいけない、という事の理由をはっきりと言う事が出来ないと子供の頃に気付いてから、僕は事の善悪を自分で決めてきた。
してはいけない、と言われている事は率先して行動してきたつもりだ。
だから僕の中での “してはいけない事” というのは失敗の歴史であって、痛い思い出なのだ。
そして、未だに失敗し続け、「俺のバカーッ」と叫んでばかりの毎日である。



自らの考えで生きるというのは、
とても効率の悪いものですが、
すべてが様式化され、システム化され、
それらのほとんどが制度疲労を起している現代社会だからこそ、
大きな価値があります。

多少常識外れでもいい、
自らがいいと感じたものを信じ、行動し、
そこら自分なりの本物を見つけて生きていきたいと考えます。

2017.10.10 Tuesday  
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