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2017年7月14日 ・・・ 真のバリアフリーとは

車椅子を後ろから押させてもらう時は、
乗っている人が安心して座っていられるよう、
また周りを歩く人やものと接触しないよう、
かなり気を使いながら押しています。

車椅子は路面の状態に大きな影響を受け、
ほんの少しの傾斜であっても車体は低い方へと向きを取られてしまいます。

整備された歩道でも、雨水を車道の方へと流すため、
わずかに車道に向かって傾斜しているところが多く、
そんなところを車椅子で押す時は、
車椅子を真っ直ぐの方向に保てるように、
車道側の持つ手にかなり力をいれなければなりません。

また路面の凹凸も結構シビアに拾います。
これは車椅子を押しているだけでは分かりませんが、
実際に自分が乗ってみるとよく分かります。

広島の市街地は市電網が発達していて、
市電の走る道の横断歩道を車椅子を押して渡る時は、
車輪を線路の溝に取られないよう、
前輪(キャスター)を少し上げるなどして衝撃を和らげるよう注意しています。

車椅子が道のどこを通るのが最も快適か、
そのことは常に頭の中に置いています。


四日前、四国の高松で車椅子のままエスカレーターに乗った老夫婦が転倒し、
転げ落ち、後方で巻き添えになった方が亡くなるという
痛ましい事故がありました。

エスカレーター:車椅子転落 巻き込まれた女性死亡 高松 - 毎日新聞

10日午前10時40分ごろ、高松市上天神町の家具店「ニトリゆめタウン高松店」で、車椅子の妻(79)と共にエスカレーターに乗っていた同市内の無職男性(81)が最上段付近で転倒。車椅子ごと転げ落ち、後方にいた近くの無職、渡辺清美さん(76)を巻き込んだ。渡辺さんは全身を強く打ち、約8時間後に死亡した。妻はあばら骨を折るなど重傷で、男性も軽傷。香川県警が過失致死の疑いで男性から話を聞いている。

 高松南署などによると、エスカレーターは店の2階と3階を結び、高低差は約5メートル。事故当時は3人だけが乗っており、車椅子が3階に着く直前、男性がバランスを失って転んだという。

 現場にはエスカレーターに車椅子やベビーカーを乗せないよう求める表示があり、2階にはエレベーターがあった。男性は「ついエスカレーターに乗ってしまった」と説明しているという。



車椅子のままエスカレーターに乗るなど無謀極まりないことです。
自分のように大柄で体力のある人間が介助していたとしても、
そんなことは恐ろしくて絶対にできません。
ましてや介助者が81歳の方であれば、
どんな大きな事故が起こっても不思議ではありません。

エスカレーターは障害を持つ方や高齢者にとってとても危険な乗り物です。
四年前、知り合いの八十代後半のお年寄りがエスカレーターで転倒し、
骨を折る大怪我をして数週間病院に入院していたことがあります。

エスカレーターには娘さんも一緒に乗っていましたが、
転けた後も動き続けるエスカレーター上で対処のしようがなく、
たまたま近くにいた若い男性に抱えてもらい、
転げ落ちることを避けることができました。

エスカレーターのある建物で、
エレベーターを併設していたいところはほとんどないと思います。
多少面倒でも、車椅子の方や高齢者は是非エレベーターを利用するべきです。


昨日のニュースによると、
そのエスカレーターの事故を受け、
香川県の社会福祉協議会のホームページにあった
車椅子のままエスカレーターに乗るための介助の手引きを
削除したとのことです。

<エスカレーター事故>香川県社協、車椅子介助の手引き削除 (毎日新聞)



これもまさに驚愕です。
社会福祉協議会が車椅子でエスカレーターに乗ることを推奨するなんて・・・。
よほど安全性に自信があったのでしょうか。
その真意を図りかねます。


世の中どんどん便利になり、
様々な障害を持つ方も社会に広く参画できるようになり、
バリアフリーという言葉も完全に定着した感があります。

一週間ほど前のこと、
市内中心部の交差点で自転車に乗って信号待ちをしていると、
隣にいた電動車椅子のおじさんから突然声をかけられました。

「オニーサン、スマホ持ってる?」
一瞬この人は電話を貸して欲しいのかなと思ったのですが、
あいにくガラケーしか持っていないので、
「ガラケーしかないんですよ」と答えると、
「でも家にはスマホがあるやろ。 これあげる」と言って、
一枚のパンフレットを手渡してくれました。

それは「BUSit」というスマホアプリの案内で、
バス停にあるQRコードをスマホで読み取ると、
バスの待ち時間、行き先、
車椅子対応かどうかまで分かる優れものです。
  <バスイット | BUSit>


こういった最先端のIT技術がバリアフリー化に役立つのは素晴らしいことです。
これからどんどんこういった技術は進んでいくでしょう。
また高齢化社会に向け、施設や設備もそれに対応していくものと思われます。

この「BUSit」を知り、あらためて日本は素晴らしい国だと思いました。
インドでは何度もバスに乗りましたが、
車椅子の人に対応しているバスなど見たことがありません。
仮に無理やりバスに乗り込んだとしても、
インドのバスは日本のバスよりも座席数が多い分通路が狭く、
車椅子ではまったく身動きを取ることができません。

そんな障害者に優しくないインドでは、
目の見えない人、片腕がなかったり松葉杖の人、
そういった人たちでもその障害を乗り越え、
実に逞しく社会の中に入っていこうとしているのを感じます。

逞しさの身に付いたインド人、
またそうでなければ生きていけないということでもあるのでしょうが、
それはそれでインドのひとつのよさなのです。


バリアフリー化の進んだ日本ではありますが、
最終的にすべての人にとって障壁がない社会は作りようがありません。
大切なのはそれと接する一人一人の行動と心の持ちようだと考えます。

車椅子介助の会「ほのぼの広島会」では、
毎年春に、吉島というところの川沿いの公園で花見の会を催します。
そこが会場となるのはみんなが集いやすく、
スーパーが近くで買い出しが便利だということ、
そして車椅子のままは入れる多目的トイレが公園内にあるからです。



一昨年の春、奥さんが旦那さんの乗る車椅子を押すご夫婦が参加され、
お二人がバスに乗って会場まで来られました。
そのバスはもちろん車椅子対応の低床車で、
最近は低床車のバスがとても増えています。

お二人の乗るバスが吉島に着くと、
運転手さんがバス中央部にある出口からスロープを延ばしてくれて、
そのスロープを逆向きになって歩道へと降りるようになっています。
これはネットから拾ったイメージ写真です。



吉島のバス停は、車道よりも少し歩道が高くなっていて、
本来ならばバスが車道のギリギリ端に寄って停車し、
スロープが歩道の上に架からなければいけなかったのですが、
その時何らかの原因で少し歩道から離れたところに停まってしまい、
スロープが歩道の手前までしかいかなかったため、
車椅子を後ろ向きに押していた奥さんがその段差につまづいて転倒し、
車椅子に乗っていた旦那さんも車椅子から落ちてしまうという事故が起こりました。

幸い怪我はほとんどありませんでしたが、
バスはそこでストップし、
他の乗客の方たちは後続のバスに乗り換えさせられ、
バス会社の担当の方が二人駆けつけて対応されました。

小雨降る中、傘も差さずただ申し訳なさそうにうつむいている
運転手さんの姿が強く印象に残っています。


どんなに設備を整えたとしても、
そこに人間が関わる以上、
様々なアクシデントが起こるのを避けることはできません。

そのため大切になってくるのが先に書いたように
一人一人の行動と心の持ちようです。

そしてその一人一人というのは、
障害を持つ方を介助する人たちであり、
また様々な障害を抱える障害者ご自身でもあります。


先月はじめ、格安航空会社バニラ・エアを利用した車椅子の男性(44)が、
奄美大島の空港で車椅子での搭乗を拒否され、
タラップを自力で這い上がったということが大きなニュースになりました。
  <バニラエア 車椅子 - Google 検索>

これについてはネット上でその男性を擁護するとともに
非難する意見が多数湧き上がりました。

その理由としてその男性が、バニラ・エアのHP上で車椅子利用の方は
事前連絡をしてくれるようお願いしているにも関わらずそれを無視したこと。
15年前にもANAで同様のトラブルを起していたこと。
その他のところでも様々なトラブルを起こし、
それをブログや講演のネタとしているプロであるということ。
こういったことからです。

昨年4月に「障害者差別解消法」が施行され、
障害の有無に関わらずすべての人たちが、
「合理的配慮の範囲内で」適切なサービスが受けられることが
法律で保障されました。

この「合理的配慮の範囲内で」というのがあいまいな定義なのですが、
バニラ・エアの場合、車椅子でタラップを昇降できる
アシストトスレッチャーを準備していれば車椅子の人も問題なく
飛行機に搭乗できたわけで、
その点ではバニラ・エアに非ががあったことは事実と考えられます。

またそのアシストトスレッチャーを
バニラ・エアが奄美の空港に備えていなかったため、
事前連絡しても車椅子の搭乗を拒否されていたであろうと推測されることから、
問題提起の意味も含め、
事前連絡なしに車椅子で搭乗しようという行為も分からなくはありません。

ただ残念なのは、問題提起の仕方はいくつもあるにも関わらず、
なぜ実力行使のような行動にでたのかということです。
このような過激な方法では飛行機の出発時刻が遅れることを含め
多くの人に迷惑がかかる可能性があり、
一方的に権利のみを主張するクレーマーという印象をぬぐえません。

人の意見や感じ方は様々ですが、
懇意にしている車椅子の男性はこの件に対し、
「あれは車椅子の当たり屋みたいなもんですから」
とかなり辛辣な意見を述べていました。


「ほのぼの広島会」では年二回、
車椅子のまま乗車できる昇降リフトの付いた広島市の福祉バスをお借りし、
いろんな観光地巡りをしたり、
地元マツダスタジアムにカープ観戦に出かけています。
  (今月はこれか二回車椅子の人たちとカープ観戦に行きます!)

そういった計画を立てた際は、
必ず数名の人たちで事前視察を行い、トイレや休憩場所を確認し、
車椅子の人たちがどういったレクレーションを楽しめるのか、
現地の人たちと綿密に打ち合わせするようにしています。

一昨年みろくの里に行った時は、
みんなで大きな観覧車に乗りました。



通常観覧車は動き続けた状態で順次ゴンドラに乗り込みますが、
車椅子の方やお年寄りの団体が来るということで、
一台ずつゴンドラに乗るたびに観覧車を停止させ、
乗り降りのアシストをしてくださいました。
これはもちろん係の人の好意です。

三年前世羅ワイナリーに行った時は、
可愛いミニSLに乗ることができました。
この時も乗降に手間がかかるので係の人たちがお手伝いくださり、
足が不自由だからうということで、
たくさん並んだ小さな座席のいくつかを間引いてくださいました。





普段遠くへ出かけることのないお年寄りや障害のある方たちにとって、
こういった外での楽しい一時は何ものにも代えがたい喜びです。
介助する方も横にいてその喜び体でを感じ、
大いに幸せをお裾分けしてもらいます。

そしてそういった喜びを享受できるのは、
設備や施設といったハード面の恩恵もありますが、
そのベースにあるのは介助をする人、それ受け入れる人、
みんなの温かい思いがあるからだと感じます。

理想論かもしれませんが、これはみんなの善意の上で成り立つ喜びです。


四年前に津和野に出かけた時は、
山を少し登ったところにある太鼓谷稲成神社に出かけました。
その境内に入るには、
どうしても駐車場から少し長い石段を昇らなければなりません。

そこを車椅子を抱えて上がるのは至難の業ですが、
事前に神社に話しに行った時に、
神社の方から若い神職(ねぎさんと言うのでしょうか?)の方たちが
手伝うことを申し出てくださり、
みんなで車椅子ごと担ぎ上げてくださいました。

中には電動車椅子に乗った太った男性もおられ、
たぶん総重量百キロ台の半ばから後半と思える重さですが、
若いねぎさんたちの力で無事上まで昇ることができました。





これなど本当にいくら感謝してもしきれないことです。
また万が一事故を起すリスクを考えたなら、
たとえ善意でもすることはできません。

法律や規則、そしてリスクを越えた善意があってはじめて得られる喜びです。


その津和野のツアーでは、本物のSLにも乗りました。
福祉バスで津和野駅まで行き、
ほんの数駅の区間ですが煙を吐くSLに体験乗車し、
バスはその降車駅まで併走してくれたのです。

この時も事前にJR西日本に話を申し入れたところ、
この会のためにわざわざ津和野駅に数名の職員を派遣し、
乗車と降車のお手伝いをしてくださいました。

SLに連結された客車は全車両特別車両で、レトロ調の豪華なものです。
乗降口が各車両の端二箇所、片扉の狭い間隔しかなく、
通常の車椅子に乗ってそのまま入ることができません。



この車両への乗り降りはとても苦労しましたが、
SLに乗っているというだけで気分は高揚します。
またSLの本数はそんなに多くないため、
沿線のたくさんの人たちがSLに向かって手を振ってくださり、
それに笑顔で応えているだけでも幸せな気分になりました。


けれど残念なことに、ここでひとつ大きなトラブルがありました。
介護に不慣れなJR職員の方が、
お年寄りを車両に乗り込ませる際、脇に両手を入れて急に力を入れて抱え、
そのためにその方が激しい痛みを訴えたのです。

その痛みは帰り道もずっと続き、
その痛みがあまりにも引かないため翌日病院で検査してもらったところ、
肋骨が折れていることが分かりました。

これはいくら善意で行った結果とはいえ、JR側に責任があります。
法的に訴えれば何らかの賠償をするべき責任が生じるものです。

しかしながらそのお年寄りのご家族も、
また会のメンバーの中の誰一人としてJRを訴えるどころか、
そのことを伝えようと言う人すらいませんでした。


真のバリアフリーを実現するには、
施設、設備といったモノのバリアフリーとともに
心のバリアフリーが必要不可欠です。

そしてその心のバリアフリーは決められたルールの上にあるのではなく、
互いに善意を差し出し、その善意に応える、
その心の豊かさの中にのみ存在します。

バリアフリーの世界とは、
障害のあるなしに関わりなく、
すべての人が幸せになり、喜びを分かち合える世界です。

2017.7.14 Friday  
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