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2016年6月6日 ・・・ シンクロ日記<2>

シンクロ(シンクロニシティー、共時性現象)とは意味ある偶然のこと。
英語のシンクロ(synchronize)とは同期するということであり、
頭の中で考えていることと目の前に現れることが同期して、
今思っていたことがパッと現実化したりすること、
これをシンクロや引き寄せという言葉で表します。

『頭の中で思い描く想念の世界がすべての現実を創り出す』、
スピリチュアルな世界でよく言われることのことは、
科学的に証明することはできませんが、事実だろうと思われます。

すべてのものが生命体としての特性を持ち、調和しているこの時空、
極めて精妙な仕組みによって活かされている肉体の神秘、
それらを支えているのは人間の想像をはるかに超えた叡智であり、
それが完璧と言える因果律によって関係性を結んでいると考えるのは
当然のことだと感じます。


この時空が完璧な因果律で成り立っているのなら、
本来すべてが絶妙に同期されたもの、シンクロであり、
意味のない偶然など何ひとつないはずですが、
その因果律は極めて複雑に入り組んでいて、
目の前で起こったことの意味を明確に捉えることがてきないのが普通です。

けれどそんな中、
頭の中の想念世界と目の前の現実とがシンプルな因果関係で結ばれて、
「あっ、今さっき考えていたことが目の前に現れた!」
と驚かされることが時としてあり、
それをシンクロや引き寄せと呼ぶのです。

シンクロが頻繁に起こるは幸いです。
それはその人の想念の力が強いから、
またその想念の力が明確かつ具体的にひとつの方向に向かっているから、
また頭の中で思い描いているその想念が、
より深い魂、あるいは天命、使命といったものと方向をひとつにするから、
因果関係が簡単に分かるシンクロが起こるのだと思われます。

またそのシンクロが頻繁に起こることによって、
自らの心のあり方を振り返るキッカケになります。

ビジネス書や成功法則について書いた書籍には、
人生の目標を明確に立て、
そこに至る行動目標を具体化することによって現実がいい方向に動き出す、
といったことが書かれていますが、
それは己の持つ想念の力を活かし、シンクロを引き出す方法ということでもあります。


自分自身の体験ですが、
三十数年前に志を立て、神因縁を持つようになり、
その後潜在意識について学んだり瞑想を習慣化するようになってから、
シンクロが多発するようになりました。

シンクロは意味ある偶然ですが、
その起こってきたシンクロの意味を感じ取ることから、
己の心の奥深い魂の意志を感じ取ることができます。

そんな中、明確に感じ取れることが二つあります。
ひとつは、宗教家を志し、神因縁を持つようになったことは必然であったということ。
これまでの人生、出会って深いご縁を持つようになった人は、
そのほとんどが宗教家であったりスピリチュアルな世界に生きる人であり、
そのような人たちに囲まれ、
自分が深い精神世界、生命の仕組みを解き明かしたいという
意志を持っていることが、
間違うことのない感覚として感じ取れます。

シンクロという導きは、
己の心、魂の意志を映し出す鏡のような存在です。

またそれをサポートするようなことですが、
その志の道から外れてはいけないという意志の元、
何か悪いことをすると、即時にその反応が返ってきます。

これまで何度かちょっとした悪さやズルをしたことがありますが、
その直後に財布を落としたり、自転車で転けて怪我をし、メガネを壊したり、
間髪入れずにその反応が返ってきました。

これは己の行動を正す意味で極めて有り難いことであり、
これこそ神のご守護、ご利益です。

この時空を律している因果律は完璧、100%パーフェクトだと考えます。
決して盗人が得をするようにはできていません。
けれど世の中には己の利のために人を平気で騙し、
のほほんとした顔で生きている人間もたくさんいるのですが、
そういった人は実際はとても不幸です。

悪事で人を欺くことはできても、
因果律から逃れることは絶対にできません。
いつか必ずそういった人間にも、
自分が行った罪の償いをしなければならない時がやって来ます。
けれどそれが明確なシンクロとして現れないので、
その人たちはつい悪事を重ねてしまうのです。


人間の行動(因)とそれによって得られる結果(果)は、
植物の生育と同じです。

人間の行動、は植物の種を蒔く行為、
蒔いた種はいつか必ず芽を出します。
しかも一粒万倍、米粒をたくさんつける稲穂のように、
結果はより大きな形として返ってきます。

けれど植物の成長には時が必要なのと同じで、
すぐに結果が現れず、
それゆえに明確な因果律として捉えることができなくなってしまいます。

反面、植物を枯らすのは簡単です。
根を抜いたり茎を切り落としてしまったら瞬時に結果が出てきます。
ですから悪事は善事よりも反応が早く返ってくるのです。
そのことはこれまで何度も体感しました。 恥ずかしながら ・・・ 。

もうひとつの真理は種は土の中に蒔けということです。
種は土の中、目に見えないところに蒔いてこそ芽を出します。
人の目に見えるところ、土の表面に蒔いても種からは芽が出ないのです。

つまり善事は人に分からないよう、
陰徳とした行うのがいいということ、
そして悪事はおおっぴらに行い、
人から裁かれた方が後々悪因縁として返ってくることがないということです。

人間が普段考えている行動規範と逆かもしれませんが、
生命の法則から見て、これは疑いようのない事実です。


そんなシンクロを強く意識しようと考え、
一ヶ月ほど前からシンクロ日記をつけ始めました。
日々のシンクロと思われる出来事を、
いいものも悪いものも書き留めて、
己の心を振り返ろうという試みです。

シンクロ日記をつけていて感じることがいくつかあります。
ひとつは、日々細かいところまで振り返ってみると、
シンクロは数多く起こっているということ。
大きな流れで起こったことの因果律は分かりにくいのですが、
細かい分かりやすいシンクロを意識するのは面白く、
日々の行動、思いのあり方を決める励みになります。

二つ目は、シンクロはその時を待っているということ。
シンクロを起すのは自分自身の思いです。
ひとつの思いが吹っ切れた途端、
その時を待っていたかのようにシンクロが起こります。
モノでも心の中の囚われでも、まずは手放すということが大切です。

三つ目は、シンクロは起きることに意義があるのではなく、
それを活かすところに意義かあるということ。
何か行動を起したいと願っている時に、
そのチャンスとなるものが現れても、
それを活かし、実際に行動していかなければ、
せっかく起こったシンクロも意味がありません。

シンクロは、思いを明確にして起すものであり、
起こった後は、それを活かしてこそ価値が生まれるもの、
そのことを強く感じます。


そしてそのシンクロを活かすために書いているシンクロ日記も、
継続していかなければ意味がありません。
実はずっと以前にも書こうとしたことがあるのですが、
その時は長続きしませんでした。
11年も前に「シンクロ日記」というページを書いています。

今回はいつも持ち歩いているA5版のシステム手帳に書くようにしていますので、
今後は途切れることなく継続していこうと考えています。
シンクロとは一生付き合っていかなければなりませんので。


シンクロは意味ある偶然ですが、
シンクロを感じる感じないに関わらず、
すべてのことを活かしていくのは自分自身の判断と行動です。

今、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの
「スタンフォード大学での伝説のスピーチ」を
英語のテキストとして読んでいて、
その中の一節をここに記します。

もう一度申し上げますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。
後から振り返って、初めてできるのです。
ですから皆さんは「将来なんらかの形で点と点がつながる」と信じなければなりません。
自分の勇気、運命、人生、宿命、・・・何かを信じなければなりません。
点がやがてどこかでつながると信じることで、たとえそれがみんなが通る道から外れても、自分の心に従う自信が生まれます。
これが大きな違いをもたらしてくれるのです。


Stay hungry, stay foolish.
ハングリーであり続けろ。愚か者であり続けろ。




2016.6.6 Monday  
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