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2016年3月11日 ・・・ 心の中の牢獄

広島県府中町で高校進学を控えた中3男子生徒が自殺をするという
痛ましい事件がありました。
その原因となったのはさかんにマスコミで報道されているとおり、
学校側の進路指導ミスであり、
誤った万引き歴を訂正せずにそのまま書面に残し、
私立高校へ専願受験するための推薦を取り消されたことにあるとされています。

府中町というのはマツダの本社がある企業城下町で、
広島市の中心部から車で十分ほどで行くことのできる、
感覚としてはほぼ広島市の一部のようなところです。

事件のあった学校には、
これまで何度かトイレ掃除をしに行かせてもらいました。

学校のトイレを掃除する時は、
朝全員が体育館に集まり、班分けをしたり注意事項の伝達を行いますが、
あの学校に行った際は、テレビで謝罪していたあの校長先生が、
にこやかな笑顔でみんなに挨拶をしてくださいました。

こんな身近なところでこのような事件が起こったことに驚きを禁じ得ません。


自分が行う掃除は公衆トイレが主ですが、
時折学校に行くこともあり、
五年前、初めてカンボジアを訪ねた直後も掃除の会で学校に行き、
子どもたちや先生、保護者の方たちと便器を磨かせていただきました。

少し記憶があいまいですが、
その時に行ったのがこの学校であったような気がします。

カンボジアは、今から四十年近く前のベトナム戦争当時、
共産主義思想に染まったポルポトの先導により、
罪のない多数の人々が捕らえられ、
わずか四年の間に総人口800万のうち200万から300万の国民が、
同胞によって虐殺されるという痛ましい過去を持っています。

その収容所となった施設のひとつであるトゥール・スレンが、
今も当時の面影を残したまま虐殺記念館として公開されています。

トゥール・スレンには、収容された人々が閉じ込められた牢獄、
体を縛り付けられ、拷問を受けたベッドや拘束具、
そしてそれによって死に至らしめられた人たちの骸骨が多数並べられています。

南国カンボジアの青空は紺碧とも言える抜けるような美しさです。
そして庭には背の高い木や美しい花や植物が茂げり、
その建物の中で、おぞましい行為が延々と行われていました。

トゥール・スレンは高校の校舎を転用して作られた収容所であり、
中庭に面した廊下のもう一方には教室が並んでいます。
建物の両端にある階段で、二階、三階へと上り下りできるようになっていて、
その構造は日本の学校の校舎と変わることがありません。


カンボジアから帰った直後、
学校の校舎にあるトイレを掃除させてもらい、
その同じ構造の建物であるトゥール・スレンのことを
どうしても思い出さずにはおれませんでした。

トゥール・スレンと比べて日本の学校の校舎はほんの少し廊下が広い、
違いと言えばその程度です。

極端な例と比べてどうこう言うのは筋違いかもしれませんが、
その時トイレを掃除させてもらって感じたのは、
やはり日本の子どもたちは恵まれているということです。

恵まれているし今の日本は平和そのものです。
そしてその平和で豊かな状態を当たり前のように享受し、
当たり前のように思っている。
そのことに一抹の不安と、
カンボジアの人たちに対する申し訳なさのようなものを感じました。


このたびの府中町で起こった事件を受け、
生徒を死に至らしめた学校側のミスが激しく糾弾されています。
それは当然のことであり、
体質的にこのようなミスを誘発する要因があるのなら、
根本からそれを見直していかなければなりません。

けれどそれと同時に感じるのは、
なぜひとつの高校に推薦されなかったというだけで
自らの命を絶たなければならなかったのかということです。

その辛さ苦しさは亡くなった本人にしか分からないことでしょう。
日本の学校の校舎は牢獄ではありませんが、
希望していた推薦を断られた彼にとってみれば、
そこは目に見える形ではない、心の牢獄であったのかもしれません。


やはりトゥール・スレンと比べるのは酷かもしれませんが、
けれどあの地獄そのものの環境の中でも生きる希望を失わず、
こくわずかではありますが生き残った方もおられるのですから、
亡くなったその男の子にもそんな力強さを持ってもらいたかった、
どうしてもそう思ってしまいます。

これはその男子生徒を責めているのではありません。
子どもは社会を映す鏡です。
その子に「推薦で希望する高校に行けないのなら死んだ方がましだ」
と思わせてしまった社会、周りの大人たちに大きな責任があります。

目標を持ち、夢を追い求めるのはいいことです。
常に成長を望むことは大切ですが、
そこから一歩外れてしまったら即絶望となるのなら、
それは何の意味もないことです。

豊かさとは、恵まれた条件、環境を得た中にあるのではなく、
どんな状況であろうとも、その中に希望と喜びを持ち続けられるところに存在します。


心の中の牢獄は、自らの思いが創り出すものです。
けれど子どもたちの心の中は、
社会や大人たちが作った常識や価値観でがんじがらめになっています。

心の牢獄からの解放は簡単ではないかもしれません。
それは今の社会を動かす根本原理が関わっているからです。

子どもたちが明るく伸び伸びと過ごせる社会、
それは理想社会のひとつの断面であり、
また理想社会そのものです。


い・ま・る ・・・ 生きてるだけで丸儲け、
こう笑顔で語れるのが究極の理想です。

2016.3.11 Friday  
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