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2016年3月10日 ・・・ 八度目の渡印

ちょうど一週間後の来週3月17日から
一ヶ月間インドに行くことになりました。
訪ねるところはいつもと同じ、
インド最南端タミルナド州にある児童養護施設三ヶ所です。
今回も昨年同様、飯田さんという人生の先輩が同行してくださいます。

数えてみれば今回で八回目の渡印です。
27年前、生まれて初めての海外旅行でインドに行き、
その時からインドに対して魂の故郷のようなものを感じ、
9年前、日本の地で、南インドで布教をする日本山妙法寺の石谷上人、
そして同じく南インドで児童養護施設を運営するスギルタンファミリーと出会い、
インドとの深いご縁が結ばれました。

27年前、三十代になる目前から憧れを抱き続けていたインド、
そしてそれとは別に、小さな子どもが大好きで、
いつかは恵まれない子どもたちの施設(ホーム)を
という思いを二十歳の頃から持ち続け、
その二つがまったく期せずして結ばれることになろうとは、
それまで夢に見ることすらありませんでした。

魂レベルで求めていると感じられる思い、
それが結実することは何にも勝る喜びです。


インドに渡るのは八回目ですが、
スギルタンファミリーと出会い、南インドに行くのは8年前の2008年以降七度目です。
そしてその内一回は、一昨年、タミルナド州の北西にあるカルナータカ州の
コスモニケタン日印友好学園に三ヶ月半駐在したので、
スギルタンたち兄弟が運営するキリスト教の児童養護施設、
セント・ボニフェス・アンバハムに行くのは六回目ということになります。

「ホームに行って何をするのですか?」
とよく尋ねられるのですが、言葉の通じない日本人が行って、
特に何か運営上の手伝いができるわけではありません。
ただ子どもたちと遊び、同じ時を過ごすだけです。

日本の団体でインドの支援をしているところはたくさんありますが、
その活動のほとんどは、実際の運営は地元のインド人が行い、
日本人は資金面でのアシストをし、
現地に定期的に訪れて実情を知るというのがメインだろうと思われます。

もちろん工業や農業等の具体的技術支援というものもあるでしょうが、
技術以外の社会的問題に対しては、
外部の人間は容易に介入することはできません。

ただ文化の交流ということに関しては、
日本人は自然とともに生きるインド人から大いに学ぶべきところがあるように、
インドの人々もまた、日本のいいところを吸収し、
より幸せに暮らす道はあるものと感じます。

今はまだ至らない自分ですが、
将来はそういった何らかのアシストができればと考えています。


ハッキリ言って、インドのホームをたびたび訪れるのは、
自分自身の心が満たされるからです。
明るく伸び伸び喜びを全身で表現する子どもたち、
その子どもたちがいつも大歓迎してくれて、
一緒に遊び、ただともに時を過ごすだけで大きな幸せを感じてくれる、
自分の価値をこんなにも認めてくれる、
そしてその彼らに幸せを与えているという実感が持てる、
こんなに楽しく、嬉しく、幸せなことは他にありません。

子どもたちの大喜びする笑顔を見ていると、
この子たちのためなら自分の一生を捧げてもいいと思えるほどです。

そしてその彼らの喜びが一過性のものではなく、
将来大きくなった時、
心にある思い出の中に、ほんの少しのきらめきとして残っていれば、
それは何よりの喜びです。

またそうあると信じるからこそ、
万難を排してでも何度もインドに足を運ぶのです。


昔からの知り合いであるある人生の大先輩は、
自分がインドのホームを訪ねる様子を見て、
「ただ単に子どもが可愛い可愛いだけじゃダメだろう ・・・ 」
と言われました。

その方は男性ですが、
その方の言われることもよく分かります。
けれどもそれは偏った男性的見方であるようにも感じます。


ホームの子どもたちはほとんどみんな貧しい村の出身で、
自分たちが写った写真をほんの数えるほどしか持っていません。
ですからホームで撮った写真は極力現地でプリントし、
子どもたちに手渡すようにしているのですが、
写真をもらうと子どもたちは大喜びです。

「ブラザー!! サンキュー・ベリー・ベリー・マッチー!!」
中学生ぐらいの年齢の子どもでも、
本当に飛び上がるぐらい大喜びしてくれます。
写真を一枚プリントするのはほんの十円程度なのですが ・・・ 。

下の写真は一昨年チェンナイのホームで撮ったもの、
イングリッシュ・ミディアムの女の子に写真をあげると、
その日の夜の礼拝の時、聖書の中に
その写真を大事そうにはさんで持っていてくれました。
これも感激ものでした。 ・゚・(ノД`;)・゚・




チェンナイのホームにギータという名の女の子がいて、
とても懐いてくれています。
下の写真、左がギータです。



彼女にも彼女を写した写真を何枚かプレゼントしたのですが、
彼女は自分や友だちが写っている写真だけではなく、
サカイブラザーと写っているものも欲しいと懸命に訴えてくれました。

「サカイブラザー、私にはお母さんだけでお父さんがいないの。
 サカイブラザーは私のお父さんだ。
 だからサカイブラザーと一緒に写った写真が欲しい!」
こんなふうに、それこそ涙ながらに語りかけてくれるのです。

こんなこと言われたらもうたまりませんよね。
胸がズキズキきてしまいます。 (>_<)

ですのでその思いに応えるべく彼女と一緒に並んで写真を撮り、
それを彼女に上げました。
すると今度は手持ちのiPadに入れていた子どもの頃の写真、
それこそ幼稚園とか小学校の頃のものも欲しいと言い出して、
ちょっと嬉し恥ずかしの気持ちでそれもプリントし、渡しました。

そうすると他の女の子たちも
「サカイブラザーの子どもの頃の写真が欲しい!」
と騒ぎ出して、結局二枚の写真を、
コテージのハウスマザーたちの分も含めて二十数枚ずつプリントしたのです。
こんな写真です。 (;^_^A



日本でこんな写真を欲しいなんて言ってくれる子は絶対いないですよ。
インドのホームの子どもたちはみんなとても懐いてくれて、大切にしてくれて、
そして慕ってくれて、
だからこそ自分は幸せいっぱいになれ、
だからこそそのお礼として、子どもたちに幸せを与えたいと思えるのです。

そしてほんの少しですが、
幸せを与えられているという実感があります。


インドのホーム、児童養護施設は、
日本の昔の言葉で言えば孤児院ですが、
実際は両親のいない孤児はほとんどいません。
片親であったり貧しいがゆえ学校に通えない、
経済的理由でホームに来ている子がほとんどです。

とは言え、幼い子どもたちにとって家を離れ、
子どもたちだけで共同生活するのは辛く寂しいものです。
その辛さを子どもたちは普段顔に出すことはありませんが、
こその辛さ、寂しさゆえ、んなにも懐いてくれて、慕ってくれるのだと感じます。

サヘル・ローズというイラン出身の若くてきれいなタレントがいます。
彼女は四歳の時にイラン・イラク戦争の空爆に遭い、
一瞬にして両親や十人の兄弟たちすべてを失い、
孤児院で生活することになりました。
  <想像以上に壮絶すぎた、サヘル・ローズの半生 - NAVER まとめ>

そしてその後、彼女をがれきの中から救い出した
当時大学生だったフローラさんの養子となり、
8歳の特に日本に来て、数々の苦難を経て現在に至っています。

その彼女が語る孤児院への思いが胸に刺さります。

誰かにハグをしてもらいたいし
頭をなでてもらいたい、
けれど施設はそういう場所がない。
ベッドの上が自分の部屋なんです。

自分だけの世界が欲しい、
一人の人に愛されたい ・・・

周りに気づいてもらいたい、
この子たちの存在に・・・

知ること、お金とかが支援じゃない、

皆さんすぐにお金って言うけど、
お金は人の心までは潤さない
子どもたちが求めているものはお金とかじゃなくて愛情なんで、
知って、施設に行って、その状況を見てもらいたい。


この動画をリンク先で是非ご覧ください。
  <「私も孤児だった…」サヘルが語る養子縁組問題(15/02/22) - YouTube>


何度もホームを訪ね、そのたびに自分を振り返る機会を与えられます。

子どもたちの心の中に潜む辛さ、悲しみ、寂しさ、
そういったものを自分はまだまだ理解できていない、
己のエゴが優先してしまい、
愛を求める子どもたちの期待に十分応えられていない、
そのことを、五度目のホーム訪問を前にして痛切に感じています。

そして今回はそのことを心に置き、
子どもたちとより深い心の交流をしてきます。


2016.3.10 Thurseday  
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