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2015年12月6日 ・・・ 知るということ

知る と 分かる と できる の違い。

三十年以上も前のこと、社会人一年生になった時、
会社で最初の上司になった人から、
この三つの違いについて教わりました。

知るとは、ただ単に人から聞いたものが知識として頭に入ること、
自らそれを実践したり、応用して使うことはできません。

分かるとは、ようやくそれを自分で使えるようになった段階で、
ここではまでしっかりと使いこなせるというところには至っていません。

できるとは、ただ頭で知っているだけではなく、
それを十分に使いこなせるということです。

当時は公文という教育の会社にいて、
小学校段階の算数の計算は完全に “できる” という段階にまで到達していないと、
その応用である中学、高校の数学を理解することはできません、
といような例でよくこのことを話していました。


その他その当時の上司にはいろんなことを教えてもらい、
その多くは今も心に残っています。

『三つ子の魂百まで』ということわざがありますが、
この三つ子(三歳児)というのは、
生まれてすぐという意味だけではなく、
大きくなっても進学、就職、結婚等、
身の周りの環境が大きく変わった時にもこのことが当てはまります。

初めての真新しい環境に身を置いた時、
そこで見聞きしたものはすべて新鮮で、
その時に得たものはまさに三つ子のように
いつまでも頭の中に残るのです。

これをある人は『ホワイトページ理論』という名で語っていましたが、
たしかにそういうことはあると思います。
また心機一転という意味で、大きな救いの言葉でもあります。


知るというのは、知る、分かる、できるの最初の段階で、
三段跳びでいうところのホップにあたります。

何か物事を為すためには、
それを知るだけでは不十分です。

不十分ではありますが、
ただ知っただけで、心に大きく響いてくることがあるのも事実です。

エニアグラムという性格診断法と出合い、
そこで自らの性格を分析し、
自分が『タイプ2 愛を与える人』というタイプの性格であるということ、
そしてその特徴、いい面、悪い方向で現れる場合というのを知り、
その時ただ知っただけで、まさに目が開かれる思いがしました。

あれから十数年、
それで完全に自分が変わったとまでは言い切れませんが、
エニアグラムで示された自分の性格特徴や
その悪い面が表に出ないようにということは常に頭の中にあり、
その後出合った様々なことを学ぶ中で、
確実にその知恵は活かされています。

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昨年大ベストセラーになった嫌われる勇気、
この本を読んでアドラー心理学というものを知り、
これまでとはまったく違う価値観に驚きながらも、
新しい感覚を呼び覚ましてくれたような感動に打ち震えました。

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この本を読んだ直後家から出ると、
目に映る景色がこれまとはまったく違ったものに見えたほどです。

自分と周りの人たちがまったく別の存在であるということが強く認識され、
それでいてその根底に
目に見えない有機的で高い粘性を持ったもので繋がっているような、
そんな不思議な感覚にとらわれました。

心理学関係の本はこれまでたくさん読んできて、
具体的なワークを通して心が変化したということはあったのですが、
このたびのこの「嫌われる勇気」のような、
ただ本を読んだだけで心の変容を感じたというのは初めてです。


知るだけで心が変わるというのは、
その知った事柄の大きさもあるでしょうが、
それ以前にそこに至るまでの様々な蓄積があり、
その上に新たな知るということが加わり、
ひとつの臨界点を迎え、変化を起したのではないかと考えられます。

人の心はこの時空すべてのものと繋がっていて、
すべてのものは必然の糸に操られるように有機的に動き、
だからこそシンクロ(シンクロニシティー、共時性現象)というものが起こってきます。

ひとつのことを突き詰めていけば、
変化を起すその最後の一点の突破口として、
“あることを知る” という現象が引き寄せられるのかもしれません。

可愛がっているミュージシャンの清水十輝くんから昨日メールをもらいました。
今見たら、彼のホームページはリニューアルされ、
彼のシャウトしている顔が大きく出ています。
 <十輝 -This is Life>

その写真を見ると分かるのですが、
彼の前歯の一部は歯列の内側に生えていて、
彼にはそれを治すように先日来話をしていました。
彼は慢性的な鼻炎があり、少し鼻声で、
噛み合わせを整えればさらに健康になるだけではなく、
きっと歌の表現力もアップするはずです。

けれど彼は21歳と若いので、
なかなか噛み合わせの大切さは理解できないのでしょう、
しばらくそのことでは何の音沙汰もなかったのですが、
昨日もらったそのメールには、
たぶん何かものを食べながらだったのでしょう、
自分が送った噛み合わせのことを書いているメールを見ている最中に、
なんと歯が欠けてしまったそうで、そこで彼もシンクロを感じ、
近日中に山﨑歯科医院に行ってみるとのことでした。

シンクロとは面白いもの、
そのシンクロのひとつの形として “知る” ということがあるのかもしれません。


知るというのはホップというひとつの物事への入り口であり、
それをこれから大いに活かすための登龍門にするか、
時間とともに消し去ってしまうかはその人次第です。

これまで何度か天理教の偉大な布教師中川よしのことを書きました。

もう三十年も前に読んだ天理教関係の本に書かれていた一節が、
今も心に残っています。

なにぶん昔のことですので、記憶違いをしているところもあるかもしれませんが、
天理教東本大教会という立派な教会を一代で築いた中川よしという
限りなく深い慈愛と鉄のような行動力を持った布教師のお話です。


中川よしは明治2年生まれ、
信仰に目覚めた若かりし頃、
遠く丹波(兵庫県)の山奥から乳飲み子を背負い、
大和地方(奈良県)にある天理教の教会本部に歩いてお参りに出かけました。

本部では偉い先生が中川よしを前にして話をはじめます。
「遠いところよく来たなあ ・・・ 」
その労をねぎらい、まず語りはじめたのが、
「あのなあ、大切なのはなあ、朝起き、働き、正直やで ・・・ 」

中川よしはその言葉を聴くと頭を下げ、
「いいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
と言って腰を上げ、その場を離れようとしました。

「おいおい、どうしたんですか。今話をはじめたばかりじゃないですか ・・・ 」

「いいえ、私にはそのお話だけで十分でございます。
 今から丹波に戻り、朝起き、働き、正直、その三つをしっかりと実行し、
 それができた後で、お話の続きを聴かせていただきます」


「大きな事を為す人は、ごく身近で簡単なことから着実に実行していくんだなあ」
まだ二十歳そこそこの若造だった私の胸に、
この話は深く響きました。

それから三十年経った今も、胸の中で色褪せることはありません。
それどころか逆に、情報過多の現代だからこそ、
この話の意味する価値というのは高まっているように思えます。


本当に素晴らしいお話であり、
何度でも自分の心に深く刻み込みたいことなので、
以前書いた文章をそのまま転記させてもらいました。

中川よしこそが実践の人、
“知る” を “できる” に換えることができる人です。


そして自分を振り返るならば、
二十歳前後の頃、天理教と出合い、
回りの布教師の方たちの真摯に神と対峙する姿に心打たれ、
自らも同じ布教師の道を歩み、多くの人を助けていきたいと願い、
神一条という天理教の布教に生涯を捧げる決意をしました。

けれどその時はまだ社会的経験が乏しく、
他の宗教や思想と比較して、天理教がいかに優れているか、
他のものとどのような違いがあるのかをまったく理解できていない、
いわゆるただ知っているだけという状態だったので、
天理教の布教師を志しながらも、
自らの無知さ加減に劣等感を感じ、またカルト(狂信)的に思われるのを嫌い、
天理教関係以外の友人たちには、
ほとんど天理教の話をすることができませんでした。

けれどもあれから三十数年経ち、
天理教の道からは離れてしまいましたが、
今は天理教でも仏教でもキリスト教でも、
どんな宗教でも自己を確立した上で客観的にその価値を感じ取れる自信ができ、
それができるからこそ、
逆に堂々と天理教のエピソードが語れるようになりました。


知る、分かる、できる、これは三段跳びのホップ、ステップ、ジャンプ
のようなものではありますが、
ただ一直線に連なる三段跳びとは違い、
知る、分かる、できるは、ひとつの循環する輪を描く構造であるとも言えます。

ひとつの物事を知り、それが分かるようになり、
そして完全に身についてできるようになる。
その段階で、次はその上となるまた新たなる知ると出合う。

こうして次々と 知る、分かる、できる、・・・知る、分かる、できる、
というのを繰り返しているともいえます。


また知るということを別の面で見ると、
知るという知識を習得することは、
物事を体で実践し習熟することと対極であり、
共生、陰と陽との関係になります。

陰と陽はバランスを取ることが大切です。

知る、分かる、できる、この循環サイクルを滞りなく回すこと。
知ることと実践すること、この共生関係をうまく保つこと。
この二つをすべての物事に於いて成り立たせること。 ・・・ フラクタル(自己相似形)


共生、循環、フラクタル、
時空の基本法則である三要素がここで揃いました。

知ることの究極は、
すべてがごく簡単な基本法則によって律せられている、
そしてそれが命の法則であり、
命そのものだということを知ることだと感じています。

2015.12.6 Sunday  
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