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2015年10月14日 ・・・ 静穏の時

日本での日常は、テレビも新聞もない生活で、
情報のほとんどすべてをインターネットから入手する生活をしています。

そのインターネットはWiMAX のWiFiルーターを通し、
家ではデスクトップパソコンに接続し、
外にも持ち歩き、ノートパソコンやiPadでネットを楽しんでいます。

今ではWiMAXは旧規格になってしまいましたが、
容量無制限、家でも外でも、どんなデバイスでも自由にネットを使うことができ、
月額2,980円(税込み)と格安なので、とても重宝しています。
  <navi-wifi>


ところがそのWiFiルーターのバッテリーが先週はじめに調子が悪くなり、
その原因を調べ、代りのバッテリーパックが届くまでの間、
ほぼ一週間、まったくインターネット接続ができなくなってしまいました。

その端末も今も完全な状態で作動せず、とても困ったことになっています。
原因は端末本体ではなく、それに給電するパソコンの方にあったようなのですが、
パソコンの世界は本当に難しいですね。
恩恵はきわめて大きいのですが、仕組みが複雑すぎ、
その仕組みのほんの一部しか分からないものに、
生活の大部分を委ねていることに恐怖を覚えます。


ネット接続ができなくなり、
自分がいかにネット依存的生活をしてきたのかということがよく分かりました。
ほとんどネット依存症と言っても差し支えありません。

朝起きてネットができないと、
何をしたらいいのか、どこから情報の刺激を受けたらいいのか戸惑ってしまいます。
そして依存症と同時にながら族でもあります。
着替えをする時、片付け、体操、呼吸法をする時、
いつもそのかかる時間を想定し、
ネットから音楽を聞いたり、ニュースを流したりしていて、
それがないと苛立ちを覚えるようになってしまいました。

そんな自分の状態を、ネットを断たれた生活をすることであらためて実感しました。


外国に行くと日本のことがよく見えるように、
大事なネットをしばらくの間手放したことにより、
ネットのない、静穏とでも言うべき自分を見つめる時間の大切さを知りました。

静穏というのはとてもいい言葉だと思います。
現代人に最も欠けているものです。

ネットを見るようになってから、本を読む時間が減りました。
ネットからはたくさんの情報を得ることができますが、
その情報は、印刷された活字から得る情報とは少し質が異なるように感じます。
本から得る情報の方が、より主体的にそれと関わることができ、
自分をしっかり持つことができるように感じます。

ネットができない間、本を何冊か読みました。
本を読んだ後の充実感は、ネットを見た後に感じるそれよりも、
より心の深い部分に残ります。
これはまだ完全に自分の中で消化しきれていないので、
こんな言葉でしか語れません。

英語の勉強でも、
「ただ聞き流すだけで英語がペラペラに・・・」といった宣伝文句の教材がありますが、
そういった受け身で英語を聞き流すだけの学習をした後と、
能動的に英文を繰り返し音読した後に得られる充実感、
あるいは手応えといったもの、それに大きな違いがあるのと同じだと思います。

便利であるのは悪いことではありませんが、
その便利さに乗っかりすぎ、
楽をし、受動的に、完全に最終状態まで加工、精選された
情報のみを受け入れていると、
人間というよりも、動物としての基本的知覚能力が損なわれていく気がします。

食べ物でも、大昔は自ら田畑を耕し、それを収穫し、調理し、
食という生きる糧を得ていたものが、
今はあらゆる方法でお金を稼ぐことができ、
そのお金がありさえすれば、どんな食べ物でも、
完全調理されたものを簡単に手に入れることができます。

その利便性の裏にはどの様な危険が潜んでいるのか、
それは “遺伝子組み換え食品の危険性” と同様、
簡単かつ短期間に表現することはできませんが、
そこに何かがあるということは、体の奥から湧き出る感覚で理解できます。


インターネットで広がる情報網は、
まるで脳の神経細胞であるシナプスが、
地球上すべてに張り巡らされたかのような感覚です。

この外側に張り巡らされた疑似シナプスが途絶えてしまうと、
その反動として、意識は必然的に内へと向かいます。

自分を見つめる静穏の時とは、
己の内を観る内観の時とも言えます。

ネットが発達した現代、その利便性にあやかりたいからこそ、
意識的に内観の時を持たなければなりません。
以前は休みの日のたびに山に登っていて、
今もなるべく時間を見つけて・・・と思ってはいるものの、
なかなか行くことができません。
これは要反省です。

内観することによって、己の内にある貴重な財産に気つくことができます。
瞑想はその代表的なものですが、
刑務所でも瞑想を取り入れることで大きな効果が得られているようです。
<【鼓動】米で注目 刑務所に「瞑想」教育導入 受刑者の精神安定で職員の負担減 - 産経ニュース>


ネットが絶えていたお陰で、
セドナメソッドをより深く実践することができました。

セドナメソッドを実践した多くの方が述べられているように、
セドナメソッドで様々な感情を手放すと、
心の内からそこはかとない幸福感が湧いてきます。
これは生きる上に於いて最高の財産です。

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本当は昨日10月13日新月の日までに
本に書かれている最後のプログラムまで実践したかったのですが、
手放すべき感情が多すぎて、
途中何度も行きつ戻りつし、今回はまだ半分ほどしか終わっていません。
けれどまだ残りがあるというのは、大いに期待が持てる喜びです。

己の内を見つめ、その内にあるものをクリアーにしていく、
そこから湧き上がってくるもの、それが幸せであり、真理です。

セドナメソッドの創始者であるレスター博士は、
『直感はすべて正しい』と述べています。

その直感は内から湧き上がってくるものであり、
その己の内に、怒り、焦り、悲しみ、憤り、・・・様々な感情が巣くっていては、
正しい直感は湧き上がってきません。
また湧き上がったとしても、それを感じ取ることができません。

ここ一週間ほどセドナメソッドを深めていて、
何度もシンクロニシティー(共時性現象)がありました。
たまたま開いた本に、さっきまで探していた情報が載っている、みたいなことです。

セドナメソッドで感情をクリアーにしたお陰で、
直感がより冴えてきたのでしょう、
また感情をクリアーにする大切さを己に知らせたいという
魂の意志だったのかもしれません。

作家の故五味康祐はこう言っています。
『直感は誤らない。誤るのは判断だ』

物事を正しく判断するためには、
自らの直感を磨かなければなりません。
その直感を磨くとは、物事を色メガネで見ないこと、偏見を持たないこと。
その色メガネや偏見に当たるものが、
心の中にある様々な感情です。

あの人は嫌な人だ、あそこに行くのは恐い、
あんなことをされたらとても悲しい、
過去の様々な経験から様々な感情が生まれ、
自分の周りの物や人を、無意識のうちにいろんな情報を付加して見ています。
それが直感を狂わせます。


自分自身を振り返ってみると、
インターネットに愛着、執着があり、
ネットのない生活に恐怖心を持っています。

そこから尾を引き、
それが自分の内を見つめることを阻害していたということに、
このたび気がつくことができました。


セドナメソッドのテキスト第五章は『静穏への鍵』です。
心の静穏を阻むものは、すべて自分の心の中にあります。

最も身近である己の心の中に今最も求めたいものがあります。
それを手に入れること、これを今の目標とし、
日々少しずつ増していく幸福感を味わっています。

2015.10.14 Wednesday  
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