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2015年8月28日 ・・・ 平和を思う

カンボジア行きを翌日に控え、最後の準備に追われています。

海外に行くのはもう慣れていますが、
今回はカンボジアのスタッフとのメールのやり取りが上手くいかず、
送ってもらったはずのメールが届かなかったりして、
かなり気を揉みました。

そのせいか、ここ二三日は夜布団に入っても熟睡できません。
日中も睡眠不足でボーッとしてしまいますが、
なんとか気力でもっています。

ツアーではなく、自分で好きに海外に行って楽しむには、
健康で強靱な身体、そして気力が必要です。
毎回そのことを痛感します。
  (特に事前準備が計画的、周到ではないタイプですので ・・・ )


今朝東京の大親友からメールが届きました。
今朝の朝日新聞に、原爆の日に偶然出会った
マルタ・アルゲリッチのことが載っているとのことで、
その記事を撮った写真を添付してくれました。


    (記事の画像をクリックすると拡大します)

アルゲリッチが地元広島交響楽団と協演していたとは知りませんでした。
しかもベートーベンのピアノコンチェルトNo.1は特に好きな曲です。

プライベートな思い出ですが、
二十数年前、当時はまだ元気だった母の暮らす奈良の実家に
年末年始の帰省をした時、
大好きなアルゲリッチのそのベートーベンのピアノコンチェルトNo.1の
CDを持っていき、
母がいつも聴いているCDラジカセで何度も繰り返し流ました。
母も元々クラシック好きですので、その演奏をとても気に入ってくれました。

何と言ってもアルゲリッチは超一流です。
素晴らしい演奏をしないはずはないのです。

母は後にCDショップでベートーベンのピアノコンチェルトNo.1のCDを
買ったそうなのですが、
適当に選んだそれはアルゲリッチのものではなく、
同じ曲でもまったくつまらない演奏だったと嘆いていたのを覚えています。

今およそ十年ぶりぐらいにそのCDを聴いています。
懐かしい旋律の裏に、亡くなった母と当時の奈良の実家の光景が浮び、
胸が少し締め付けられる思いです。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番&第2番ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番&第2番
アルゲリッチ(マルタ)

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大好きなアルゲリッチが平和に熱い思いを抱いてくれるのは、
とてもとても嬉しいことです。

記事文中に被爆ピアノのことが書かれていますが、
そのピアノは、「ヒロシマ フクシマ」で書いた
平和を祈るコンサートで奏でられたものです。

広島には被爆ピアノと呼ばれるものが何台もあり、
それを耳にする機会も多いのですが、
正直言って、あまり心揺さぶられたことはありません。

なぜなら、モノ、物欲を追い求めて戦争になり、ひいては原爆も投下され、
それに異を唱えるメッセージを送るのに、
被爆体験のあるピアノというモノを通して伝えるということに、
多少の違和感を覚えるからです。

けれど「ヒロシマ フクシマ」でのピアノの音色はとても心に響きました。
音は空気の波という物理エネルギーではなく、
それを伝える思いをも乗せる媒体です。

音、音楽は耳に響くのではなく、
耳を通して体の中へと入り、
それが自らの思いと共鳴し、心が響くものです。

その被爆ピアノを所有している二口とみゑさんとは、
親しくお付き合いさせていただいていて、
アルゲリッチが評価してくださったということに、
やはり嬉しさを感じます。


広島では平和という言葉が日常的に語られます。
ここにいるとそれが当たり前のようになっていますが、
これはたぶん日本では広島と長崎だけのことなのだと思います。

カンボジアのことを思うと、やはり日本は恵まれていて平和です。
わずか四年の間に国民の三分の一が虐殺されたカンボジアは、
今も大量の地雷が埋まっています。

今週月曜日、カンボジアからの研修生ガイ・マムさんを囲む会の席で、
広島の民放局でアナウンサーをし、
カンボジアの地雷撤去のボランテイアのため
毎年カンボジアを訪れているという久保田夏菜さんという方と出会いました。

まだ若い、広島の身近なところにいる女性が、
そこまで深く平和に関心を持ち、活動をしているということにとても驚きました。


カンボジアでもインドでも、
海外に行って一番よく分かるのは、
日本がどういう国であるかということです。

日本だけにいるとすべてが当たり前であり、
当たり前すぎてそのことが目に入りません。

四年前にカンボジアに行った時の記録を読み返し、
当時のことを思い出しました。

あの時に感じたカンボジアの街全体を覆う穏やかで温かい空気、
そしてその中にあり、大量の虐殺が行われた爪痕を残す
トゥールスレイン元収容所やキリングフィールド、
そこに展示されているおびただしい数の人骨、
それらが心の中でひとつにならず、
カンボジア人の民族性の根底にあるものがどうしても理解できませんでした。
その思いは今も同じです。

それに比べると日本はやはり平和です。
島国だからでしょう、良くも悪くもシンプルでストレートな平和です。
あまりに平和すぎ、平和ボケと言われることもありますが、
そのことがよく理解できます。

今左翼の人たちが、いわゆる “戦争法案” に対して
大いに反対の声を上げていますが、
自らの思いを言うならば、
日本が “戦争できない国” でありさえすれば、
戦争に巻き込まれることはなく、
日本の平和な状態は維持できると考えるのは、
実に楽観的理想主義であり、
やはり平和ボケと言われても仕方がないのではないかと感じます。

だからその戦争法案を通すべきだとは言いませんが、
左翼でも右翼でも極端にひとつの思想に偏ってしまうと、
まともな議論ができなくなります。

相手方の意見をまったく顧みず、
自らの主張のみを押し通すようになり、
それが例え平和を唱えるものであったとしても、
それは好戦的態度であり、まったく平和的と言い難いものです。

冗談みたいな話ですが、
平和を求めるため、安倍首相を呪い殺そうという僧侶たちがいるそうですね。
これは物事の根本を見失っているのだと感じます。
<痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 安倍首相を呪うため、僧侶達が呪殺祈祷僧団「JKS47」を結成 呪殺祈祷会を決行…安保法反対訴え - ライブドアブログ>


このホームページでは政治や思想のことはほとんど書きません。
それは物事の捉え方は人様々であり、
その多様な捉え方よりも、
の根底にあるすべての事物に通じる真理により高い関心があるからです。

けれど思想と呼ばれるものでも、
その思想を生み出す元があまりにもむ破綻した論理であるならば、
それに対してキチンと正すための意見を述べるべきだと考えます。


平和、戦争法案に関して言うならば、
すべでではないでしょうが、多くの左翼の方たちの論にある、
集団自衛権の行使を認めようとすることは、
軍国主義、侵略主義、他国と戦闘をしてでも自国の権利を拡大しようと考える
好戦的な人間だと捉える見方は、あきらかに間違いです。

日本人のほとんどは、再び戦争をしたいなどとは考えていません。
誰しも平和を愛しています。

その平和を愛し、維持するためには、
今の憲法、防衛のあり方をどうするべきなのか、
議論の争点はここにあるべきです。

一部の極端な左翼的思想家のような、
相手の考え方を頭から否定する態度では、
まともな議論も、そこからいい結論が導かれることも望めません。
これぞ非平和的態度です。


平和に対して熱い思いを持つことは大切です。
けれど心は熱くても、頭の中は常に冷静でなくてはなりません。

『人間の能力で最も大切なものは判断力である』
このことを何度もホームページで書いてきました。
けれどマスコミの報道を見ていると、
あきらかに偏向し、情緒的で、
判断力の元となるまともなバランスを欠いているものをよく見受けます。

沖縄で米軍ヘリコプターの事故があり、
沖縄の基地周辺の人々は危険にさらされ、
その米軍ヘリを沖縄から撤退させることが、
あたかも日本の平和につながるような報道がよくなされますが、
これなどはまさに愚の骨頂です。

ある事が起こりうる可能性、その規模、
それを数学的には期待値と言いますが、
沖縄で米軍ヘリが事故を起し、
県民が被害を受ける期待値がどれほどあるというのでしょう。

それはどう多く見積もっても、
数年に一人かそれ以下のはずです。

そのことを危険と声高に叫ぶなら、
交通事故が危ないから家から一歩も出るな、
歩行者も全員ヘルメットを着用せよぐらい言うべきです。

多くの日本国民が知っているように、
中国の持つ覇権主義は常軌を逸していて、
そこに日本人の持つまともな道徳観などまったく通用しません。

中国は南沙諸島の領有権を主張し、
南シナ海、東シナ海と、大いなる海洋進出を企て、
そのためには他のどの国に対しても武力行使を厭わない構えです。

日本も尖閣列島で中国とたびたび衝突をしている今、
日本が日本であるための領有権、主権を主張するため、
日本の最南端沖縄の米軍基地がいかに大切なものであるかは
火を見るより明らかです。

その米軍基地のヘリコプターを、
何年かに一度事故をするかもしれない、
その時に人命を危険にさらすかもしれないという、
まさに雲のように薄い危険性の期待値でそれを排除しようとするのは、
正常な判断力を持つ人間の思考とは思えません。


日本人はたぶんに情緒的な面があり、
ハイジャックや人質問題の時などそれが顕著に現れますが、
何を置いても人命尊重、
たった一人の人間の命でも、
何よりもそれを大切にするという思想を持っています。

これは日本人の素晴らしい美徳ではありますが、
これを大切にすると同時に、
より冷静、客観的な視座も同時に持つ必要があります。


そもそも日米安保の体勢を必要が無いと考えるのなら別ですが、
もしそうでないのなら、
米軍のオスプレイの問題、ヘリコプター、
それらからくる事故の危険性と、
日本の領有権、主権に関わる危険性、
どちらがより重要で深く考慮すべき事なのか、
よく考えてみなければなりません。

本当はマスコミもそのことはよく分かっているはずです。
けれどこれは事実ですが、
朝日新聞の慰安婦捏造記事に象徴されるように、
日本のマスコミは韓国、中国といった第三国に乗っ取られていて、
彼らの益になることしか報道しません。

日本人には自らを蔑むよう、
防衛力を弱体化させ、
第三国の思いが通りやすくするように、それがマスコミの真意です。

ですから彼らの意図の通じないインターネットの自由な世界では、
その事実が暴かれ、
ネットを利用する頻度の高い若者を中心に、
急速なマスコミ離れが進んでいます。
そしてマスコミの持つ反日思想に対抗すべく、
彼らは自然と愛国的になり、それがネット右翼と呼ばれています。

自分も十年ぐらい前は左翼的平和思想家でしたが、
今は愛国的平和思想家に変わっています。


右翼といえば、
深緑色に彩られた大型バスで轟音をまき散らす右翼の街宣車を思い出しますが、
あれは右翼ではありません。
左翼も左翼、極左の反日集団です。

あの暴力的街宣車のボディーに書かれた
愛国、日本民族、天皇、北方領土返還、大和魂、
そういった文言を見て、好感を抱く人はほとんどいません。

99.9%の人は彼らに対して嫌悪感を抱き、
その嫌悪感をまき散らす彼らの思想にも同様に
嫌悪感と危険なものを感じるはずです。

彼らも当然そのことは理解し、
理解した上でわざと暴力団まがいの行動で人を威嚇し続けています。

それはなぜか、極めて単純なことです。
彼らの支持母体のほとんどが韓国であり、
彼らの反日思想を広く日本国内に流布することが彼らの真の目的だからです。
  <右翼の正体>

国を愛することは危険思想だ、恥ずかしい、
彼らの意図にだまされて、こんな考えを持たないようにしてください。


明日早朝家を出るのでもう時間がありません。
まだまだ書きたいことはありますが、最後に。

日本はやはり素晴らしく国です。
だからこそ、日本は世界の中で平均的な国ではないのです。
特殊な国です。

その特殊な国が世界の他の国々とうまく付き合っていくためには、
日本の素晴らしさを知ると同時に、
他の国々のことも知り、日本持つ特殊性をより深く理解する必要があります。

日本人は誇るべき美徳を持っています。
そのひとつが人を信じ、人を敬う心です。
けれどこれは世界の標準的なものではありません。

日本人は、狭い日本の社会の中で生まれ育ち、
この価値観が周りのみんなに通じ、
謙譲の美徳をもって相手と接すれば、
相手もそれを察し、相手と自分、
互いがよりよい関係性を築けるものと固く信じていますが、
それは日本という極めて狭い中でしか通じないローカルルールであり、
コモンセンスではありません。

日本人は相手を強く責めず、
自らが一歩引く優しさを持っています。
これは男女でいえば女性的優しさです。

けれど女性的なものだけではバランスに欠け、
大きな力は持ち得ません。
女性的優しさと同時に、男性的な強さ、厳しさも必要です。


明日から行くカンボジアでは、
カンボジアのことと同時に、日本のこと、自分自身のことを見つめてきます。

2015.8.28 Friday  
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