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2015年8月14日 ・・・ 心のバリアフリー

十数年前、土木の仕事で汗を流していた頃、
四日間のお盆休み中、毎日初めて登る山に出かけ、
下山後はふもとの温泉に入ったりして楽しんだことがあります。

今はそのことを思い出し、
少しのんびりできるお盆の間、
何か形のあることをしたいと考えています。


ここ最近何度か車椅子の人たちと広島の街に出かけ、
街の施設や設備が車椅子の人たちにとって使いやすい
バリアフリーになっているのか調査をしています。

その時に感じるのが、
自分は自分の立場からしか物事を見ていなかったということです。

目が見え、耳が聞こえ、五感のすべてが不自由なく機能していても、
感じ取ることはすべて自分中心であり、
他の人がどう思い、五感でどんなことを感じ取っているのかということは、
普段まったく思い至ることがありません。

それがごく些細なこと、当たり前のことであり、
言われてみれば瞬時に分かることであったとしても、
自分に関係のないことであったなら、
まったく意識を向けることがないという事実を知り、
少なからずショックを受けています。


車椅子の人の立場が分からないということは、
子ども、お年寄り、異性、様々な異なる人の立場や見方も
十分に理解できていないということです。

けれど普段はそんなことは考えることなく、
五感がしっかり働いているのだから、
立場の異なる人のこともある程度は分かっている、
そう思い込んでしまっています。

だからこそ誰に対しても謙虚さが必要です。
謙虚さは人間の美徳の中でも特に尊ばれていますが、
こうして自分の至らなさを知ると、
その意味がよく分かります。


広島は、日本で最も市電網が行き渡っているところです。
本当は、昔からのものがそのまま残っていると言った正解かもしれませんが、
いずれにせよ、広島市内を縦横に走る市電(広電)のネットワークは、
広島市民や訪れる人にとって貴重な足となっています。

広電は、宮島の対岸宮島口に向かう郊外の路線は専用軌道となっていて、
踏切があり、立派な駅が各所にあるのですが、
市内中心部の均一料金区間は市内線と呼ばれ、
一般道の真ん中に線路がある併用軌道となっています。

併用軌道は道路の中央にあるのですから、
電停のプラットフォームに行くためには、
横断歩道を渡らなければなりません。

また道路の真ん中にあるプラットフォームは、
道路幅の関係で、そんなに幅の広いものを作ることできません。

この写真、何をしているところか分かりますか?



目の前に横断歩道があり、その先に電停があり、
信号は青ですが、横断歩道の前で佇んでいます。

これは車椅子の人が市電を待っている姿です。
市電は同じ方向に行く電車でも行き先が何種類かあり、
また求めている行き先の電車でも、それが低床車でなければ、
車椅子のまま乗り込むことはできません。

電停のプラットフォームは場所によって幅に差があるのですが、
ほとんどの電停は車椅子やベビーカーは互いにすれ違うことができず、
またどこの電停でも、降りる人が幅の狭いプラットフォームにごった返した時は
とても危険であり、スムーズな流れの妨げになり、
車椅子の人は、プラットフォームに留まったまま電車を待つことができないのです。

プラットフォームの上にある屋根、
その左端に下がっているのは次の電車を示す案内板です。
宮島口、宇品、己斐、横川、江波、
電停に近づきつつある電車がどこ行きなのか、
それを文字のランプを点滅させることで教えてくれます。

けれどそれは横断歩道の先からだとかなり見にくく、
また道路に車やバスが止まっていたら、まったく見ることができません。

そして何より、その案内板には次の電車が低床車かどうかを知らせる機能がなく、
目を凝らし、次の電車は低床車かどうなのかを、
実際に走っている電車を見て確かめなければなりません。
広電には単車両、連結車両を含めて二十種類以上の電車があり、
増えてきつつはあるものの、そのすべてが低床車ではありません。
  <広電 車両紹介>

また低床車でなくても、連結車両で車掌さんがいる場合、
運転手と二人で車椅子を抱えて乗せてくれますが、
とても大変なことであり、気兼ねすることです。


このことを初めて知ったのは夜のことだったのですが、
街灯りと電車のヘッドライトを頼りに、
二十分近く電停脇の横断歩道に留まって目当ての電車を待ちました。

また横断歩道で堂々と立ち止まっていると、
車椅子だからでしょうか、タクシーを待っているのかと勘違いして、
タクシーが止まってくださいます。
ですから電車が近づいてこない間は、横断歩道の端っこで、
目立たないようにしていなければなりません。

横断歩道の端っこで目を凝らしながら電車を待ち、
お目当ての電車が来たら、
青信号になるのを待ってダッシュでプラットフォームに向かう、
これが体の不自由な人にとっていかに大変なことなのかは、
想像に難くありません。


世の中全般にバリアフリー化が進んでいますが、
それに対し、本当に障害を持っている方の意見が反映されているのか、
そこに多少の疑問を感じています。

バリアフリーというのは、大金をかけて設備を一新するだけではなく、
ほんの少しの知恵と工夫で実現できるものが多々あるように思います。

広電の電停には、やって来る電車が低床車かどうかを示す表示板もあります。



できればこれをすべての電停に設置してもらいたい、
そしてその表示が、横断歩道の先で待つ人にも分かるようにしてもらいたい。

また最近はスマートフォンが普及しているのですから、
スマホアプリで電車の到着を知らせるものがあれば大いに助かります。


これからこういったバリアフリーの実態を調査して、
改善に対する具体的提案をして行く予定です。
  <ほのぼの広島会>


そしてもうひとつ気がついたことです。

今年の春、やはり車椅子の人たちと世界遺産である宮島に行きました。
宮島は島全体が風光明媚な素晴らしいところであり、
船で渡った桟橋、そこから厳島神社、水族館に至る観光ルートは、
ほとんど坂のない平坦な道を進んでいくことができます。

桟橋から厳島神社、そこに至る参道は楽しい土産物屋が並び、
いつ行ってもたくさんの観光客でごった返しています。
ですがそこから少し山裾を登った大聖院というお寺は訪れる人も限られていて、
海を見渡せる景色、たくさんのお地蔵さん、立派な砂曼荼羅、・・・
とても風情がある穴場的スポットです。
  <大聖院>

知り合いを宮島に案内する時は、
必ずいつもこの大聖院も案内するので、
勾配のある坂が大変ではありますが、
その時も大汗をかき、全力で車椅子を押して大聖院まで行きました。
  (かなり力がないと、一人で車椅子を押して行くのは不可能です)

普段なかなか行くことのできない大聖院に上り、
車椅子の人も大喜びです。
そして帰りはほとんど人が歩かない大元公園というところに至るルートを通りました。

ここは途中、絶景と呼ぶにふさわしい景色が眺められ、
みんなでそこで一服し、しばし至福の一時を過ごしました。


8月6日、原爆記念日、ボランティア関係の知り合いである今浦さん親娘が
長崎から来られ、広島での被爆者であるお母様を車椅子に乗せ、
春に通ったのと同じルートを歩きました。
  <被爆の記憶、つらすぎて語れなかった この夏は伝える>

その絶景を撮った写真です。



この日はすごく暑かったものの天気もよく、お二人ともとても喜んでくださいました。


そのことを先に宮島に一緒に行った車椅子の友人に伝えると、
「車椅子に乗っているといつも目線が低くなるので、
 どうしても本能的に高いところに憧れるようになるんですよね」
と言ってくれました。

これもまさに目から鱗の言葉でした。
自分は特に182cmと背が高いので、
いつも高いところから周りを見渡せるのは当たり前という感覚を持っています。

そして当然、そんな感覚を持っているということすらも気がつきません。


本当のバリアフリーとは、
こういった感覚のバリアフリー、
心のバリアフリーから始まるように思います。

2015.8.14 Friday  
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