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2014年5月24日 ・・・ 凡事徹底

インド行きを三週間後に控え、
ホームページを更新するための時間がなかなか持てません。
渡航までにやるべきことがたくさんあるのはプレッシャーですが、
それに向かい、ひとつずつ目標とする山を越えていくのは楽しいものです。
インドに行くまでに、また新たな自分を発見できそうです。

日本にいる間にやるべきことは、
何も特別なことではありません。
これまでやってきたことの延長であり、
ひと区切りつけるためのまとめであり、
またこれまでなかなか手を付けられなかったこと、
そんなことをひとつひとつ抜けがないよう注意しながら実践しています。

そんな当たり前のことをやりながら
新たな自分を発見できそうな感覚を覚えるのは、
日常の中にこそ深い真理があり、
それを着実に実践すること、それが最も尊いものである、
体でそのように感じるからに他なりません。

これはインドのホームで可愛い子どもたちと
日々変わることのない日常を繰り返し、
その中で限りなく深い喜びを感じ、
非日常(ハレ)ではなく日常(ケ)の中にこそ、
最高の喜びを感じ取れる要素があるのだと気づいたことと同じです。


天才とは、生まれ持って得意な才能に恵まれた者ではなく、
持てる能力を最大限に活かすべく努力を続けることのできる人である、
こんな言葉を聞いたことがあります。

誰にでも努力を怠らなければ天才になりうる可能性があり、
天才とは、最も尊い日常を研ぎ澄ますことのできる者を指すのだとも言えるでしょう。

最も尊い日常の先に、すべてに通じる道が開けています。


今週の火・水曜日、岐阜と愛知の県境に一泊で出かけてきました。
現在事務局として関わらせていただいている盲導犬贈呈活動の
牽引役として最高の役割を果たしてくださっている梅村昭博様が、
ご自身が設立された昭和企画という会社の職務を完全に退き、
今後はこの盲導犬贈呈活動に専心する決意をされたとのことで、
その発表の場を設けられ、その会に広島から参加させていただいたのです。
  <井上わこ盲導犬贈呈プロジェクト>

梅村昭博様

梅村様は頑固一徹、鋼のような強い信念をお持ちの方で、
昔気質で情に深く、
その公徳心あふれる行動には、多くの方が信望を寄せています。

会には三十名弱のそうそうたる方たちがお集りになりましたが、
みなさんそれぞれが行っている事業への直接的メリットではなく、
志や生き様という目に見えない心の繋がりで一堂に介されました。

そういった方が思いが強くこもるものです。
一人一人の方たちが述べられる言葉には、
強く胸を打たれるものがありました。

それは言葉そのものでもあり、
またその言葉に込められたその方たちの思いです。
そしてその思いの裏には、隠すことのできないものとして
その方たちの日々の生き様が表れています。


今年の盲導犬プロジェクトは、
これまでも大きなお力をくださったカー用品販売のイエローハット様が、
より前面に出てご支援をくださることとなり、
盲導犬チョコレートのパッケージにも、
イエローハットという社名が入ることになりました。


    注 : この箱は見本です。

そのイエローハットの創設者であり掃除道の提唱者でもある
鍵山秀三郎相談役も会にご参加され、
祝辞を述べてくださいました。

鍵山秀三郎相談役

『平凡なことを非凡に行う』、
この日常を徹する生き方を貫いている方の言葉は力と重みが違います。
柔和な表情で淡々と言葉を述べられる姿は、まさに最強の木鶏を彷彿させます。
  <木鷄 - Wikipedia>

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会には鍵山相談役、「日本を美しくする会」会長の田中義人氏をはじめ、
  (田中さんとお会いしたのは20年ぶりでした!)
掃除道、トイレ掃除と関わっておられる方たちがたくさんおられ、
みなひとつの志共同体のような雰囲気です。

田中氏の音頭で乾杯をした後は、
各テーブルで食事をしながら、
参加者全員が一人一人がマイクを持って挨拶をしました。

普通の会で食事中に順番で挨拶する場合、
たいていざわついた雰囲気の中、
一部の方だけ挨拶する人の言葉を聞き、
後はみんな食事や周りの人たちとのおしゃべりに夢中になる
といった感じになるのですが、
今回のこの会は、各自の挨拶を全員が真剣に聞き入るという、
ちょっと異例とも言える空気に全体が包まれていました。

それだけ参加者全員の言葉と生き様に重みが感じられるということであり、
またみんなの思いが完全にひとつになっている証なのだと思います。

このような会にメンバーの一人として参加させていただけたことを、
とても嬉しく思うと同時に誇りを感じます。


体で感じる思いや生き様は言葉にできません。
これは残念ですが致し方ありません。

会ではいろんな人から強い思いを感じましたが、
その中で最も強く印象に残ったのが、
生まれながらにして小さな体、短い手脚という重い障害を背負い、
子ども時代や若い頃には想像を絶するイジメにあい、
それでも現在人一倍強く逞しく生きておられる豊田詔子さんの言葉と存在です。

豊田詔子さん

どんな逆境にもめげることなく、
常に強い信念を持ち続けて生きるそのお姿が、
小さな体からほとばしるエネルギーとしてあふれ出ていました。
そのことは声の響きひとつをとっても強く感じられます。

詔子さんとは五年前に宮島の公衆トイレ掃除の会で初めてお目にかかり、
その時、不自由な体で懸命に力強く便器を磨くお姿に感動して以来、二度目です。
  (愛着を込め、詔子さんと書かせていただきます)

会の中でスピーチとしてお話をお伺いし、
会が終わった後は、お風呂に入る前、
ロビーの一角で肌着姿のまま突然 “女子会” が始まり、
そのまま延々一時間半も話し続けられました。

豊田詔子さん

自分は途中大浴場に行き、
戻って来ても話が続いていたので、
詔子さんの横の絨毯の上にあぐら座りでしゃがみ込んで話をお聞きしました。

その時感じました。
自分は人一倍健康な体、長い手脚をいただき、
それを日々言葉として体と対話しているものの、
本当の意味でその価値をまだまだ分かっていない、
そのことを詔子さんの言葉と、その言葉から感じられる生き様から教えていただきました。

詔子さんのお話が終わった後、握手を求め、
そのままつい感動のあまり、
詔子さんの体を両腕で抱きしめてしまいました。

梅村昭博様、豊田詔子さん、
このお二人ほど強い生き様を感じさせる人はいません。
そしてそのことは少し接しただけで、
体からにじみ出てくるものとして、誰にでも感じ取ることができるでしょう。

 豊田詔子さん、鍵山秀三郎相談役

    前列中央 豊田詔子さん、その右側が鍵山秀三郎相談役、
    後列赤いブレザー(盲導犬プロジェクトの制服)の男前も写っています!


会の参加者にいただいたお土産の中に、
昨年夏の甲子園優勝校、
前橋育英高校野球部の荒井直樹監督の著書が入っていました。

『当たり前』の積み重ねが、本物になる ~凡事徹底――前橋育英が甲子園を制した理由~『当たり前』の積み重ねが、本物になる
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荒井監督が選手たちを指導する上で信念とし、
著書のタイトルの一部ともなっている “凡事徹底” というのは、
鍵山相談役が信条として大切にされている言葉です。

凡事徹底 (活学叢書)凡事徹底 (活学叢書)
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凡事徹底とは、
  『誰にでもできることを、
   誰にもできないくらい、
   徹底してやり続ける』
ということであり、
荒井監督の著書は、
  第一章 チームづくりで徹する
  第二章 選手の育成で徹する
  第三章 指導者として徹する
  第四章 日常生活で徹する
  第五章 人として徹する
のように、すべての章のタイトルが “徹する” という言葉で締められています。

基礎的な練習の反復、道具を大切に丁寧に扱うこと、
どんな時でも全力でプレーすること、
食事は好き嫌いなく残さず食べること、挨拶をきちんとすること、
こういった簡単だけれども大切なことを徹底してやり続けること、
これを信条として守り、徹し、
その結果として大きな成果を上げられました。

それは最初から大きな成果を求め、
最も近い道、効率を求めて行ったことではありません。
例え結果としてそうなったとしても、
それを目標とすることと結果としてそうなるのとでは、大きな違いがあるのです。

『大きな努力で小さな成果を』、
これも鍵山相談役の言葉ですが、
この言葉の意味するところはきわめて深いものです。


『学問に王道なし』と言いますが、
これは世の中のことほとんどすべてに当てはまる言葉でしょう。

けれど世間一般はこの逆を行き、
少しでも楽のできる王道を求め、小さな努力で大きな成果を上げることを狙います。
これは根っこを十分に張ることなく、また茎を太くすることなく、
大きな花を咲かせることと同じであり、
これでは例え花が咲いても少しの風ですぐに茎が折れてしまったり、
根元から倒れてしまいます。

“特訓” という言葉をマスコミは好きでよく使いますが、
この言葉には大きな違和感を覚えます。
特訓と通常の訓練とはどう違うのでしょう。
何か通常の訓練の積み重ねでは得られない大きな成果を得る方法が
あるのでしょうか。

これは努力という過程よりも成果という結果のみを重視した言葉であり、
日常よりも非日常の方に何かすごいものが存在するという、
ちょっと大げさに言えば現実逃避的であり、
日常を軽視する思想の表れだと感じます。


昨日と今日、以前から懇意にしていただいている
渡部保さんという年配の方とお会いしてきました。

渡部さんは二十数年前、広島市内で「コスモ広島」というカーショップを開いていて、
そこに月に一度の割合で鍵山相談役が営業で来られていたそうです。
当時のイエローハットはカー用品を小売りすると同時に、
卸もしておられました。

鍵山相談役は来社されると商談の前に、
「これは私の趣味ですから」と、
必ず店にあった八つの便器をすべて素手で掃除し、
「お陰様でとてもスッキリしました」と、
笑顔で話されていたそうです。

その二十数年前の生き方、
掃除の徹底ぶりが現在にも繋がっているのですから、
ご自身の言葉通り、まさに凡事徹底、平凡を非凡に極めた生き方と言えるでしょう。


日常、平凡、誰にでも手が届く身近なものの中に、
最高のものへと通じる道が開けていることは福音です。

トイレ掃除をしていると、どんなに汚れた便器であっても、
同じ箇所を数百回、数千回磨き続ければ必ずきれいになるということを、
体で理解できるようになります。

これからもできる範囲の平凡なことに意識を向け、
それを数百回、数千回というレベルで徹することにより、
己の人生を磨き続けていきたいと思います。

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