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2014年5月15日 ・・・ 五回目の南インド

後ちょうど一ヶ月後の6月15日から、
五回目となる南インド訪問に出かけます。

23年前に初めてインドに行った時からインドにご縁を感じ、
七年前、南インドの人たちと二週間の間親しく接する機会を持ち、
六年前の2月に南インドを初めて訪ね、
それ以来すっかり(南)インドの魅力にはまってしまいました。

その間インドへの導きを感じることがたびたびあり、
奇跡と思えるようなことがあまりにも繁に起こるので、
インドに関しては、もう “奇跡が当たり前” といった感覚です。


三年ぐらい前になるでしょうか、
毎週金曜日の早朝開かれている積極人間の集いに参加した時のことです。
その日のゲストスピーカーは、アジア各国に教育や環境、復興等
多方面で支援をしているアジア協会という団体の創設者であり事務局長である
村上公彦さんという方でした。
  <JAFS | 公益社団法人アジア協会アジア友の会>

アジア協会とはどういう団体であるのか、
その活動の具体的内容を、会の中で40分間お話をお聴きしました。
そして会の終了後、みんなで喫茶店で歓談している時、
自分も南インドの児童養護施設にたびたび行っているということを
村上さんにお伝えしたところ、
南インドにアジア協会が設立した学校があるのだけれど、
できればそこに半年か一年駐在し、運営の支援をしてもらえないかという
お話をいただきました。

日本を半年も離れるというのは大変なことです。
いくら自分が自由人だからといって、
安易にイエスとは答えられません。

結局その場では返事を保留したのですが、
やはりどう考えても日本をそんなに長期間離れることは不可能なので、
その時は申し訳ないですがということで、
お断りをさせていただきました。

けれどなぜその時、あのタイミングでそんな話をいただいたのか、
そのことがずっと心に引っかかり、
インドを訪ねた折は、村上さんにお便りを送ったりしていました。

そして昨年の6月から7月にかけてインドを訪れた際、
このホームページにも書いたように、
自分の中でひとつ大きな思いが芽生えました。

それは自分にとって最高のものは何かということを見つけることができたのです。
そしてその最高のものを大切にしていきたいということとともに、
その源であり、心の故郷であるインド、インドの子どもたちと人生を歩みたい、
あの子たちが幸せを得られるよう、
自分の人生をかけて活動を続けていきたい、
そう心に刻み込むことができのです。
  <最高のもの>


そして今年2月前後にかけて再びインドに行き、
3月初めに家に戻った時、留守中の郵便物を確認してみると、
村上さんから一通のハガキが届いていました。
そこに書かれていたのは、アジア協会が作った南インドの学校の始業式が
6月にあるので、よかったら参加しませんかというものでした。

今回のインド訪問では村上さんにハガキは送っていなかったので、
突然のハガキに少し驚いたのですが、
インド訪問中で返事が遅くなりましたと、すぐにメールをお返ししました。

そしてすぐに何度かメールのやり取りをして、
インドの学校に半年ほど駐在してもらえないかというお話を
再びいただくことになりました。

自分のインドへの思いは以前とは変わっています。
さすがにその場でイエスとは答えられなかったのですが、
「できる限り行けるよう、前向きに検討します」
という返事をさせていただきました。

南インドのあの純真で限りなく可愛い子どもたち、
あの子たちに対して誓ったことは、
そう簡単に反故にすることはできません。

けれど前向きにと返事はしたものの、
実際問題半年も日本を離れるのは大変なことです。
日本で今やりたいこと、やらなければならないことも多々あり、
そのことを考えると頭が痛くなりそうでした。


二年前から、年末にクリスマスチョコーレートを販売し、
その収益金で盲導犬を贈呈するという活動に
事務局として関わっています。
  <井上わこ盲導犬プロジェクト>

このチョコレートの販売活動が10月から本格的に始まり、
これから離れると周りの人に迷惑をかけ、
これだけはどうしても外すことはできません。

このたびのインドからの帰国を3月5日にしたのも、
クリスマスチョコレートの収益金でお贈りする
26頭目の盲導犬贈呈式が3月9日にあり、
それに間に合わせるためでした。

その贈呈式には遠方から大事なお客様が何名か泊まりがけで来られていて、
前日の3月8日、会場となるホテルで少人数の懇親の場が設けられました。

その時はまだインド行きの話を受けていることは、
誰にも話しをすることはできていなかったのですが、
たまたま自分がインドに何度も行っているということが話題に上った時、
大阪から来られている参加者の方の口から、
“アジア協会” という言葉が飛び出し、ビックリしてしまいました。

たった七名の席、お客様四名の内のお一人が、
なんとアジア協会の理事だったのです。

そしてその場で村上事務局長からインドに行くお話があるということを伝えたところ、
その理事の方も周りの人たちも、
せっかくいただいた機会だから、是非行くべきだと言ってもらうことができました。

けれど10月までには日本に帰ってこなければ盲導犬の活動ができないので、
それでもよければということで理事の方を通して村上さんに伝えたところ、
6月15日から9月末までの三ヶ月半でもいいということで、
南インドの学校に行くことが決まりました。

これがインドから帰ってきて、三日、四日の内に決まった出来事です。
本当に不思議としか言えない流れですが、
インドに関しては、本当にこうした奇跡が当たり前のようなことなのです。


このたび行くのは、
これまで四回行ったインド最南端タミルナド州と同じ南インドに属する、
タミルナド州の東北側に隣接するカルナータカ州ビジャプールというところです。



カルナータカ州の州都は州のほぼ南端にあるバンガロール
インドのIT産業の中心都市として有名で、
数年前に亡くなったサイババのアシュラムもこの近くにあります。

インドは州が違えば言葉も風習も異なり、
初めて行くカルナータカ州はまるで初体験の異国のようであり、
少しだけ緊張感を覚えます。

タミルナド州の現地語はタミル語ですが、
カルナータカ州の現地語はカンナダ語で、
英語とヒンズー語も学校で学んでいるようです。
距離的にもビジャプールは州のほぼ北端ですので、
タミルナド州の最も近いチェンナイのホームでも、
直線距離で計って600キロ以上離れています。

アジア協会の設立した学校は、
古代王朝の歴史的建造物があることで有名なビジャプールのはずれにある
日印友好学園コスモニケタンで、
幼稚園児から中学生相当の子どもたち四百数十名が通っています。

そこは貧しい農村地帯で、
経済的事情で学校に通えない子どもたちが多く、、
二十年ほど前(?)、アジア協会の支援で学費無償の学校を作り、
今では子ともたちはとてもよく勉学に励み、
ここ十年近くの間、ハイスクールの卒業認定試験の平均点は、
ビジャプール地区四百数十校でトップです。

その学校にかかる費用はすべて日本からの支援でまかなっているのですが、
このたび支援制度を少し変え、里親制度を導入することとなり、
その運営のお手伝いをする役割をいただきました。
  <アジア里親の会>

この話が決まってから一度だけ大阪のアジア協会に行き、
コスモニケタンの話をお伺いしたのですが、
正直まだ分からないことだらけです。

これからまた打ち合わせをする機会もあると思いますが、
実際のところは現地に行ってみなければ分からないでしょう。

村上さんに、なぜこのたび突然おハガキをくださったのかとお尋ねしたら、
たまたま机の上の棚に入れていた自分がインドからお送りした絵ハガキが、
なにかの拍子で机の上に落ちてきて、
それで思い出してハガキを書いてくださったとのことでした。
まったく何が導きになるか分かりません。


今はただ、残された日本での一時、一時を大切にし、
思い残すことがない状態でインドに向かえることを願い、
行動するだけです。

これから一ヶ月間日本でどのように過ごすかで、
インドでの日々のあり方が変わってくると信じます。

今回はインドの可愛い子どもたちから、
どんな素敵な贈り物を受け取ることができるでしょう。
そのことを思うと胸がいっぱいになります。

2014.5.15 Thurseday  
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