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2013年10月28日 ・・・ 偽装

今年も残すところ後二ヶ月余り、
これから年末に向け、社会の変革スピードもより勢いを増し、
ますます大きく世の中が揺れ動いていく予感がしています。

今年もいろんなことがあり、
その世相を表す流行語もいくつか生まれました。
今のところ今年の流行語大賞は、
東京オリンピック招致のプレゼンで滝川クリステルが語った
“おもてなし” が最有力候補だと伝えられています。



気品のある美人である彼女がにこやかな表情を浮かべ、
穏やかな口調で “お・も・て・な・し” とゆっくり唱え、
最後に両手を合わせ、頭を下げながら再び “おもてなし” と
深く染み入るように語るその姿には、
心を強く打たれるものがありました。

たしかに日本には心のこもったおもてなしで
客人を迎える文化が伝統的にありますが、
動作として、両手を合わせて感謝を伝えるという作法は、
日常でほとんど目にすることはありません。

正直そのことにとても違和感を覚えます。
と言うのも、自分が訪ねる南インドには、
初対面でも親しい間柄でも、
挨拶の時には両手を合わせて挨拶の言葉を交わす素晴らしい習慣があるからです。



普段から姿勢のいいインドの人たちが両手を合わせ、微笑みを浮かべ、
「ワナッカム」という現地の言葉で交わす挨拶から、
この上なく清々しい心の交流が生まれています。
これは是非日本人も見習ってもらいたいものです。

心の姿勢(感謝)、言葉の姿勢(挨拶)、表情の姿勢(笑顔)
そして体の姿勢(作法・動作)、
これらはひとつであり、すべてが合わさって素晴らしい文化が形作られます。


これは流行語大賞にはなりえない言葉ですが、
最近 “偽装” という言葉がとても気になっています。

すべての面で価値観が大きく根底から変わろうとしている今、
その変革を阻害し、その場しのぎで偽装をし、
旧来のものを守ろうとする動きに対しては、
厳しい目を向けていかなければなりません。

今こそ物事の根本、本質に目を向けていかなければならない時であるにも関わらず、
言葉のごまかしによってその本質をあやふやにしようとすることが
たびたび見受けられ、
またそれに上手くだまされてしまう世間やマスコミの風潮に対して、
何とも言えない憤りと情けなさを感じています。

それがたとえ身近でささやかな問題であったとしても、
そこで物事の本質を見失うような対処の姿勢では、
真に重要な課題に直面した時にも、
必ず同じように適切な判断と行動が取れなくなってしまいます。


人類の大きな歴史の流れから見てみると、
今の人類は、まさにタイタニック号のような大型豪華客船が沈没しようとしている
時であると例えても言いすぎではありません。

けれど世間の話題の中心は、その船をどう立て直すか、
どうやってそこから脱出するかではなく、
取りあえず傾いた船の中で、今夜の夕食のメニューをどのようにするのかといった
そんな刹那的な話題がほとんどです。
これはまさに茹でガエル状態です。
  <茹でガエル - Wikipedia>

ここではそういった大きなことではなく、
そういった大きな問題の根本を見誤る元となる身近な事例、
その身近な物事における “偽装” について書いてみます。


新阪急ホテルズによる “メニュー誤表記” が、
最近大きなニュースとなりました。
誤表記は7年間に渡り、23店舗、47品目にも広がっているとのことですが、
会社の代表者によると「これはあくまでも担当者間の認識の違いによる誤表記であり、
意図的な偽装ではない」という姿勢を崩していません。(今日までのところ)

こんなことが公に発表され、
それが世間に通るということがとても不思議でなりません。
47品目にもなる誤表記が、すべて偶然にも会社側に都合のいいように、
より高品質の商品として表記され、
価格もそれに従って付けられるということがあり得るのでしょうか。
代表者が会見でそのようなことを述べた時に、
なぜ取材する側はそのことに対して質問を発しなかったのでしょうか。

こんなすぐに分かる “偽装発言” がまかり通ることに、
取材するマスコミの主体性、判断力のなさを強く感じます。


政治家はおうおうにして世間一般がまったく使わない言葉を多用します。
今から二十数年前、当時の竹下登首相の答弁がわかりにくいということで、
「言語明瞭意味不明瞭」という評が話題となりましたが、
政治家は、今も昔も意味不明瞭な言葉で世間を煙に巻くのが通例です。

政治家は “遺憾” という言葉をよく使いますが、
この意味をどれだけの人が把握しているでしょうか。

この25日、韓国が竹島周辺で軍事演習を行いました。
これは昨今の日韓関係の悪化と、日本が竹島問題に対する動画を
インターネット上に公開したことが引き金になったものと考えられます。
  <▶ 竹島に関する動画 - YouTube>

この動きに対し、日本では菅官房長官がすぐに記者会見で
「韓国軍による竹島軍事訓練は極めて遺憾」とのコメントを発表しました。

遺憾とは「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味です。
どこの国の政府が、自国の領土と主張する場所に他国の軍隊が介入した時、
それを「残念なことだ」と発表して済ますでしょうか。
こんなことが平気で通ってしまうのはおそらく日本だけでしょう。

残念ではなく遺憾という言葉を使うのは、
あいまいな弱腰姿勢を隠すための “言葉の偽装” であり、
本来ならば会見の場でマスコミがそのことを正さなければならないはずです。


より卑近な話題となりますが、
みのもんたが26日、
二つの報道番組のキャスターを降板するという会見を開きました。

マスコミでは次男の窃盗の問題が大きく取り上げられていますが、
ネット上ではそのことよりも、
自身にかかっているセクハラ行為に対する批判の方が
より大きな話題となっています。





ネット上ではそのセクハラ場面とされるCM開けのシーンが
動画として公開されていて、
みの自身は会見でその釈明も行い、その動画に対しては、
「うまく作られた映像だなと思いました」と、
あたかもその動画が “加工” されたものであるかのような発言を行いました。



この動画は編集されてはいても加工(偽装)しているようには思えません。
かなり腰から下のきわどい位置にみのの手が伸び、
にんまりとした表情のまま払いのけられた手を引っ込め、
その表情をまったく変えることなく揉み手をしています。
これは気まずいことをした後に人間が無意識にする行う動作と非常に似ています。

セクハラされたとされるこのTBSの吉田明世アナは、
その後番組を降板しています。
みのは会見の中で、彼女はよくとちるので
指導の一環として背中を叩いたりはしたがセクハラのつもりはなく、
「そのことは彼女に聞いてもらった方がいい」と語っています。

けれど組織の中で圧倒的に力のある人間に対し、
組織人である若い彼女が否定的な発言をできるはずがありません。

そんなことより、あの動画が加工されたものであるというのであれば、
加工されていない元の動画を、CM中のものも含めて公開すれば、
疑惑は一発ですべて解消するはずです。

そのことに対しては一言も言及せず、
ただ動画は加工されたものだと語るみのの姿勢から鑑みて、
『実際にセクハラはあった』と推察するのがきわめて妥当であると考えます。


別段みのもんたに何かの恨みがあるわけではありませんが、
彼のように社会的影響力の強い人間の発言を、
ただ言われるままに垂れ流しているようなら、
日本の報道機関にはジャーナリストとしての資格はないように思えます。
そしてそのことが極めて憂慮すべき問題であると考えます。

嘘やごまかしはあって当たり前、
その矛盾を追求されることがないのだから
真実を言う人間は馬鹿を見るだけ、
偽装をし、しらばっくれてやり過ごすのが最も得策である、
こんな風潮が生まれることが何より危険です。


世界的に著名な投資家である ウォーレン・バフェットの言葉です。

    小さなことで規律を破ると、
        大きなことでも規律を破るようになる。

こういった身近で小さな偽装を許してしまう世の中では、
これから迎える時代の大きな変革の波を乗り越えることはできません。


これは付け足しのようなものですが、
昨日行われた日本シリーズ大2戦、楽天対巨人の試合に於いて、
勝敗を分ける大切な場面で明らかなる誤審がありました。

この動画を見る限りファーストは確実にアウトであり、
塁審のセーフの判定は誤審であると言わざるえません。



人間は機械ではありませんので、
100%正しい判定を下すことは不可能です。
ですから著しく発達した電子機器の恩恵を利用すればいいと思うのですが、
そこは意見の分かれるところでしょう。
人間の目による曖昧さをも許容してこそスポーツの醍醐味があるという
意見もあって然るべきだと思います。

けれども不確かな判定の中に、
意図的にどちらかに偏ったものがあるのなら、
それは排除しなければ本来のスポーツのあり方に反してしまいます。

今回は巨人の原監督は塁審に対して抗議の声を上げましたが、
いつもは巨人寄りの “ジャンパイヤ” と呼ばれる審判たちに
甘い判定で助けられている立場ですので、
強くは言えないということがあるのかもしれません。

また偉大な連勝記録を作った田中将大投手に対しては、
審判のストライクゾーンが甘めだとの指摘がされています。



真偽のほどは定かではありませんが、
それが事実なら、偉大な記録も実に色あせたものであると言えるでしょう。


先月、インド人たち二人と東京の街を歩き、
美しい高層ビルが林立している整った街並みに、
彼らは感嘆の声を上げていました。

けれど日本はその発達したハード面に対し、
情報やそれを伝えるメディアというソフトの面は、
まだまだかなり立ち後れているという感を拭いきれません。


最も大切なことから目をそらし続けてきた人類が、
今の壊滅的危機的な地球環境、緊迫した不安定な社会情勢を創り出しました。

もう待ったはありません。
偉大なる自然、偉大なる地球生命体ガイアには、
もう偽装は通用しないのです。

2013.10.28 Monday  
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