ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2013.9.18



ヨガナンダ



2013年9月18日 ・・・ 選択と行動

大昔ある会社での入社試験でのこと、
朝から長時間にわたった面接や試験が終わり、
最後に簡単な性格診断テストのようなものを受けさせられました。

設問は数百に上る膨大なものですが、
すべて選択肢の中から自分に当てはまるものを選ぶだけで、
それが終わった者から帰宅することができ、
はりきってその設問に答えていきました。

設問自体はたいして深い意味もないような問いかけばかりですが、
数がたくさんあるので、
早く解放されたいという思いもあり、気持ちは焦るばかりです。

けれどそれに少しずつ回答していく内にあることに気がつきました。
数ある設問の中には言葉遣いは違うものの、
ほとんど同じことを問いかけているものがいくつもあるのです。

それはなぜだろうと考えてみました。
たぶん回答者に最も気持ちの焦る状況を作り、
その中で自分の考えに沿った選択をいつも同じようにすることができるのか、
それを調べているのだろうと思われます。


鬼才スタンリー・キューブリック監督の作品「シャイニング」の中で、
狂気に満ちた夫に追われる妻を演じた女優シェリー・デュバルは、
そのクライマックスシーンで何度もNGを出し、
何度も繰り返し撮り直しを要求され、
その数は127回におよび、ギネスブックにも掲載されました。



これは彼女を精神的に追い込み、
その混乱した狂気を描き出そうとするキューブリックの意図的な手法です。

シャイニング 特別版 [DVD]シャイニング 特別版 [DVD]
スタンリー・キューブリック

ワーナー・ホーム・ビデオ 2002-04-05
売り上げランキング : 78509

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


人は常に自分の思いを真っ正面から見つめ、
いつどんな状況であっても変わらぬ自己表現、選択ができるわけではありません。
その時々によって揺れ動く周りの状況に合わせ自己をも変容させ、
いつも不安定な中に身を置いている、そんな不確定な存在です。

以前ご紹介したことのあるスタンリー・キューブリックの動画を
今も時々見ています。
彼が作品の中で多用した一点透過図法の画面は完全に上下左右が
シンメトリック(対称形)であり、完璧に安定した構図であるがゆえ、
これを見ているとなんとも居心地の悪い圧迫感と恐怖心を覚えます。



キューブリックの描いた作品に共通するテーマは、
人間誰しもが内在させている “狂気” です。

この一点透視図法に圧迫感や恐怖を感じるのは、
人間はそれだけ普段から物事を斜めから見ている証なのだと感じます。
まったく逃げ隠れすることのできない、崩すことのできない完全シンメトリックな世界は、
人の持つあやふやさや時とともに移ろう変化を否定してしまい、
それが内在する狂気を導くキッカケとなります。


人生とは、その人が幼い頃から現在に至るまで、
数え切れないほどの選択を繰り返してきた、
その積み重ねだと表現することができます。

また人間の持っ力で最も大切なものは判断力であると考えます。

けれどその選択や判断は常に自分の意向に添って行われてきたわけではありません。
自分では、自分とその対象物だけを見つめ、
常に的確な選択、判断をしてきたと考えてはいても、
実際はそれとは関係のない周りのものや状況に
判断を大きく委ねてしまっていることがよくあります。

人とはそういうあいまいなものではありますが、
選択、判断によって最終的に求めている最も大切なものは、
自分の内面に於ける満足感なのですから、
それを一概に排除し、否定すべき必要はないと考えます。

ただ人の判断とはあいまいなものであり、
それが周りの状況からどういった影響を受けるのかは、
大切な知恵として知っておいて損ではありません。

過去の歴史を遡ってみれば、
時の権力者や資本家たちは、大衆の持つそのあいまいな判断力を利用し、
民意を自らの有利な方へと導いてきた事例が多々あります。

また今はすべての過去の価値観を見つめ直し、
人類の生き方そのものに変革を求められている大切な時期であり、
そのためにも一人一人がより正しい判断力を持って行動することが求められています。


「選択」について研究をしているシーナ・ アイアンガ−の講演を見ました。
彼女の語る選択を巡る人の判断の方法についての話は、
実に示唆に富んだ興味深いものであり、
的確と思われる選択が、いかに周りの状況に左右されているかがよく理解できます。





その中で感じた一節をひとつだけ。

スタンフォードの大学院生だった頃、あるとても高級な食料品店によく行っていました。少なくとも当時は本当に高級なDraeger'sという店でした。さてこの店に行くのはまるで遊園地に行くようでした。この店には250種類のマスタードや酢があり、500種類以上の果物や野菜 さらに20種類以上のミネラルウォーターがありました。これは人々がまだ実際に水道水を飲んでいた頃のことです。私はこの店に行くのが大好きでした。でもふと思いました。なぜ私は何も買わないんだろう?この店のオリーブオイルのコーナーです。鍵の掛かったケースに入った樹齢千年のオリーブの木から採れたオリーブオイルも含め75種類以上ありました。

そこである日店長に会って尋ねました。こんな沢山の選択肢を提供する方法で売れるんですか?すると店長はカメラを持って毎日やって来る大勢の観光客を指差しました。私たちはちょっとした実験をすることに決めました。実験に選んだのはジャムです。これがジャムのコーナーです。348種類のジャムがありました。小さな試食ブースを店の入り口のすぐ近くに設置しました。そこで6種類または24種類の様々な味のジャムを出し、2つのことを観察しました。まずどちらの設定の方が多くの人々が立ち止まってジャムを試食するかです。24種類ある場合は約60%の人が試食し、6種類の時の40%より多いと分かりました。次に観察したのはどちらの設定の方がジャムを購入する傾向が高いかです。すると数値は反対となりました。24種類の時に試食した人のうち実際にジャムを購入したのはたったの3%でした。6種類の時に立ち止まった人々の間ではなんと30%が実際にジャムを購入していました。ここで少し計算してみると、人々は6種類見た時の方が24種類見た時より少なくとも6倍ジャムを購入する傾向が高いことになります。


人は選択肢の多いほどより的確な判断ができ、
行動にも結びつくと思いがちですが、
実際はそうではありません。
“ものを選ぶ” という行為の陰では、
選ばれなかったものが大きな影響を与えています。

商品の選択肢が多いほど実際の購買行動に結びつかなかったという事例は、
商品を情報に、購買行動をそれを活かすという言葉に入れ替えても
成り立つものと思われます。

情報過多で勉強熱心な多くの日本人は、
少しでもいい人生を歩みたい、幸せになりたいと願い、
たくさんの良書を買い求め、立派な人の講演会に足繁く通っています。
けれどそれだけで満足し疲れ切ってしまい、
実際には何も行動せず、また行動しないことに対し、
「また別の機会にやればいい」、「もっと他にいいものがあるかもしれないから・・・」
といった様々な理由をつけ、自己を正当化することがよくあります。

選択肢は豊富であればいいというものではありません。
またものがたくさんある方が豊かであるということでもありません。
そういった根本的なことに対して常に疑問を持ち、
見つめ直し続けることが大切です。


またインドのことですが、
インドのホームの子どもたちは実に質素な暮らしをしています。
個人的な持ち物もトランクケース一個に収まる程度しか持っていません。



これは言葉で説明できるものではありませんが、
“持っていないにも関わらず” ではなく、
“持っていないからこそ” 彼らは豊かなのです。

天真爛漫に幸せいっぱいの笑みを浮かべて日々を過ごす彼らを見ていると、
モノの持つ呪縛を強く感じずにはいられません。


学ぶということに関して、豊かな日本では、
どんなジャンルのものでもネットからでも書籍からでも自由に好きなだけ
情報を手に入れて学ぶことが可能です。
けれどここでも条件が整い過ぎ、選択肢があり過ぎて、
それが学ぶことの本質を見失わせている原因となっているように感じます。

机がない、蛍光灯もない、塾も参考書もない、
あるのはすべての教科内容が一冊にまとめられてテキストただ一冊、
インドのホームでの子どもたちは、こんな中、地べたに腰を下ろして学習をしています。




何を選択するのかは大切なことですが、
それと同時に、とにかく何かを選択し、
それを実際の行動に結びつけることが今の日本人にとってはより大切だと考えます。

ガラクタを捨てる、スペースクリアリング、手放すということ、
これらは大切なものを選択することとともに、
行動の大切さを説いているのです。

選択の科学選択の科学
シーナ・アイエンガー 櫻井 祐子

文藝春秋 2010-11-12
売り上げランキング : 660

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2013.9.18 Wednesday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.