ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2013.9.7



ヨガナンダ



2013年9月7日 ・・・ 間接的表現

映画でも音楽でも、芸術と呼ばれるもので、
直接的に怒りや悲しみを訴えてくるものよりも、
その中からそれの意図するものをそこはかとなく伝え、
儚(はかな)い、切ない、虚しい、愛おしい、・・・
そういった間接的感情を沸き立たせるものの方が、
芸術としてより上質であると感じます。

もう二十年以上前、まだ二十代の若かりし頃、
当時暮らしていた地元の新聞社の学芸部長ととても懇意にしていて、
その人に連れられて、
かなりの頻度で映画、音楽、演劇といったものと触れた時期があり、
その時に芸術に関する自分の感じ方が形成されていきました。

その頃からずつと芸術は間接的表現がより上質であると感じてはいたのですが、
それがなぜなのかということは、これまであまり考えたことはありませんでした。
けれどあらためてそのことを考えてみると、
いくつか頭に思い浮かぶことがあります。
それはこれまでこのホームページで書いてきたことと完全に一致することです。


物事の価値の主体はあくまでも自分の中にあります。
人にとって価値がないと思われるものであったとしても、
それを自分がいい感じたならば、それは自分にとって価値のあるものなのです。

そしてその価値のあるものを自分で見つけ、自分で感じ、
自分の力でそこから得られるものを身に付けるところに価値があります。

怒り、悲しみ、あるいはお仕着せのような感動という直接的なものは、
この自らが感じ取るという最も大切な主体性を阻害してしまい、
物事を表面的にしか見れないような人間を作ることに繋がりかねません。


食べ物を例にすると分かりやすいでしょう。
体にとって最高にいいものであるからと、
特定の栄養素のみを抽出した食品ばかり摂り続けていたら
どうなるでしょう。
たぶん最初のうちは体にとっていい反応が現れるかもしれませんが、
時間が経つにつれ、体の大切な機能が着実に弱まっていくはずです。

最も健全の食とは、様々な栄養素が含まれた自然のものを、
自らの口で噛み砕き、唾液とともに咀嚼し、
体の中で、自らの力で持って消化、分解していくところにあります。
その中には少々毒となるものが含まれていてもいいのです。
その毒素もまた肉体の持つ健全な排毒作用を促し、
より強靱な体を造り上げる一助となるのです。

特定栄養素を抽出した栄養補助食品やサプリメントは、
病気や体調を崩した人には貴重でしょうが、
一般の人が常食するのには注意が必要です。


『教育の基本は立腰にあり』
教育の最も大切な基本は正しい姿勢、背筋をきちんと伸ばすことです。
これは人間の五官のうち四官が集中する頭部から入った情報を、
真っ直ぐに伸ばされた背筋を通し、
脳とフラクタル(自己相似形)である腸にいったん入れ、
そこでの深い思考、洞察を経て、情報を自らの判断として
再び頭部へと戻すところにあります。

普段から背筋が伸びて姿勢のいい人とそうでない人、
どちらがより深い思考ができているかを見れば、
その働きが明らかに理解できます。

思考でも、やはり間接的なもの、
自分の中を通したものがより高い価値を持ちます。


間接的なものとは、
外から与えられたものを直接自分の中に取り入れるのではなく、
そこに自らの思考や判断といったものを加味させ、
外、他人か与えらた情報を、自らの知恵に昇華させたものとも言えます。

今日はなぜこんなことを書いたかというと、
昨夜たまたま目にした英会話についての動画がとても興味深く、
そこで述べられている英会話上達のコツというのが実に含蓄を含み、
様々な物事に当てはめることができると感じたからです。

“これが人生を歩む上での大切なポイントである” などと大上段に、
かつ押しつけがましく語られるより、
こんなめちゃくちゃラフな英語についての話の中から、
自分にとって大切なことを感じ取る方がより面白く、
かつ知恵としての応用範囲が広がることのように思えます。

いや〜、女の人ってすごいな〜♪
女性は体の中で感じたことを自分の外にそのまま表現する能力が、
男よりも格段に優れていますね。
男は逆立ちしても敵いません。
このReinaさんを見ていてつくづくそう感じます。



ここで述べられていること、人生論として秀逸です。

2013.9.7 Saturday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.