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2013年3月25日 ・・・ 気づきと行動<2>

春はいいですね ・・・ って何度同じことを書くんでしょう。 ^^☆
東京は先週末、観測史上二番目の早さで桜の満開を迎えたとのことでしたが、
広島の桜は見頃まで後一歩といったところです。

そんな中でももう見事に花を咲かせている桜の木もあり、
今日は知り合いの家を訪ねたら、
満開の庭の桜の木の下には、たくさんのきれいな花びらが落ちていました。

その花びらを両手いっぱいかき集め、
「お皿お皿、お皿ください♪」
と言いながら家の中に入り、
水を入れたお皿の中に花びらを浮かべました。



桜の花がきれいなのは一年のうちでほんの一時だけ、
その一時、その儚(はかな)さが人の心を強く引きつけます。

そしてそのほんの一時を少しでも長引かせようと、
散った後でも地面の上できれいな花びらを開かせている姿には、
可憐な命の尊さを感じます。


『感動とは 感じて動くと書くんだなあ』
という言葉がありますが、
感じても、意識や行動が変らなければ、
それは単なる感激であって感動ではありません。



情報化社会の現代は身の回りに刺激や情報にあふれ、
感じることは多々あっても、
それをじっくりと行動レベルに落とし込むことがほとんどありません。

逆に行動に移すことができない自分を見つめるのが嫌で、
どんどんどんどん際限なく刺激や情報を求め続けているというのが
実情ではないでしょうか。

これもやはり食生活に例えるとよく分かります。
田舎暮らしで自分の畑で採れた生命エネルギーあふれた旬の野菜を
少量しっかりとよく噛んで食べ、
常に労働で体を動かしている、
これは真の健康体のひとつの姿です。

この食を情報に換えてみると、
その時々、本当に自分に必要な情報は何かを見極め、
それに焦点を絞り、取り入れ、自分のものとし、
最終的には自らの行動を変えるところまで昇華させる、
これが情報健康体のひとつの姿でしょう。


手に入れることと手放すこと、
どちらも陰と陽の関係であり、どちらも必要不可欠なものです。

けれど大きな価値観崩壊末期、情報化社会の現代に於いて、
新しいことを手に入れるより、手放すこと、
たくさんの気づきを得ることよりも、
その気づきから自らの行動を変えていくことの方により価値があります。

刺激には慣れが生じます。
たくさんの気づきがあったとしても、
それをただ頭の中に入れるだけで行動として表すことがなければ、
気づきが単なる目新しい情報として右の耳から左の耳へと流れてしまい、
どんな気づきがあっても自分の本質を何も変えることのできない
そんな自分になってしまいます。

逆にほんのささいな気づきでも、
そこから自分を変えていく努力をし、それができるようになったならば、
どんなことからでも自分を高めていくことのできる人間になることができます。


気づき、刺激、情報、それらには価値がありません。
価値の主体は、そこから自分がどう変ったかというところにあります。

10万円のセミナーに参加して涙を流して大感激しても、
一年後に振り返って、そこから自分が何も変化していないと感じるようだったら、
残念ながらそれは何も価値がなかったということです。

電車の中で拾った週刊誌に書かれていた記事が心にとまり、
そこから自分を変えるヒントを得て、本当にそれで自分が変われたのであれば、
それは大いに価値のあることだと言えます。


その点子どもってすごいですね。
ほんの些細なことで大感激し、大泣きし、
態度がコロッと変ってしまうことがあるのですから。

『幼子のようにならなければ天国の門には入れない』
子どもは天使であり、神であり、
純粋な人間の理想の姿を具現化した象徴だといえます。


いろんな本を読み、いろんな人の話を聴き、
そのたびに心動かされ感激することを、
是非とも感動に変え、自分の本質を変えていきましょう。

手帳を開き、これまでどんな人と出会い、どんな話を聴いたのかを思い出し、
それによって自分がどう変ったのかに思いを寄せてみてください。

そこはかとなく記憶に残るというのもいいですが、
どんな会、どんな出会いでも、
その中で “これだけは心に留めておこう” というものをひとつだけ選び、
それをノートに書き留めるなりしてずっと意識し、
それから後もたびたび振り返るようにしておくことがおすすめです。

どんなに素晴らしい内容の濃い話でも、
たったひとつだけ、
そのひとつだけでも実際に自分を変えるものとすることができたなら、
こんなに素晴らしいことはありません。


「My365」というスマホやタブレット端末で使えるアプリがあります。
一日一枚の写真を自分の日記に残していくもので、
どんなに充実した素晴らしい日でも一日たった一枚、
この原則が崩れないところに価値があり素晴らしいのです。

どんな素晴らしい出会いや話でもたったひとつ、
それだけを心に留め、自分を変えていく材料にすることができたなら、
確実に成長していく自分になれるはずです。


難しいことではなく簡単な中に真理がある。
知ることではなく実行することに価値がある。

天理教の偉大な布教師だった中川よしという人の話です。
調べてみると過去三度同じことを書いているのですが、
いい話は何度聴いてもいいですからね。


もう三十年も前に読んだ天理教関係の本に書かれていた一節が、
今も心に残っています。

なにぶん昔のことですので、記憶違いをしているところもあるかもしれませんが、
天理教東本大教会という立派な教会を一代で築いた中川よしという
限りなく深い慈愛と鉄のような行動力を持った布教師のお話です。


中川よしは明治2年生まれ、
信仰に目覚めた若かりし頃、
遠く丹波(兵庫県)の山奥から乳飲み子を背負い、
大和地方(奈良県)にある天理教の教会本部に歩いてお参りに出かけました。

本部では偉い先生が中川よしを前にして話をはじめます。
「遠いところよく来たなあ ・・・ 」
その労をねぎらい、まず語りはじめたのが、
「あのなあ、大切なのはなあ、朝起き、働き、正直やで ・・・ 」

中川よしはその言葉を聴くと頭を下げ、
「いいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
と言って腰を上げ、その場を離れようとしました。

「おいおい、どうしたんですか。今話をはじめたばかりじゃないですか ・・・ 」

「いいえ、私にはそのお話だけで十分でございます。
 今から丹波に戻り、朝起き、働き、正直、その三つをしっかりと実行し、
 それができた後で、お話の続きを聴かせていただきます」


「大きな事を為す人は、ごく身近で簡単なことから着実に実行していくんだなあ」
まだ二十歳そこそこの若造だった私の胸に、
この話は深く響きました。

それから三十年経った今も、胸の中で色褪せることはありません。
それどころか逆に、情報過多の現代だからこそ、
この話の意味する価値というのは高まっているように思えます。



中川よしさんのこのお話、心に響きますね。
もう四回このホームページに書いているのですが、
本当に素晴らしい話は何度も何度も自分に言い聞かせたくなります。

現代社会を否定するわけではありませんが、
極に走った今の時代のよさを活かしていくためには、
その対極を知り、その対極を意識することで、
そのよさを引き出していかなければなりません。

食べたものをしっかりと消化し、
運動して健康を保っていけるように、
目の前に与えられたひとつひとつのことを大切にし、
それを確実に自分のものとできる人間になりたいですね。

2013.3.25 Monday  
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