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2013年3月19日 ・・・ 命日

今日3月19日は母の命日です。
お墓は奈良にあるので行くことができないのですが、
知り合いの家の仏壇に手を合わせ、一人母のことを思いました。

そのことを知り合いの陶匠高麗誠さんにメールをしたら、
「広島の本照寺にあるパール判事の碑にお参りに行ったらどうですか」
という言葉をいただきました。

本照寺は家からさほど遠くないところで、
お寺の前は数え切れないぐらい通り、パール判事の碑があることも
門のところに書かれているので知ってはいたのですが、
これまで中に入ったことはありませんでした。



パール判事は、第二次世界大戦終了後行われた東京裁判に於いて、
ただ一人全員無罪を主張した信念の人です。
  <ラダ・ビノード・パール - Wikipedia>

けれど今の日本には、残念ながらそのパール判事の思いは伝わっていません。
今の日本や日本人は、過去の自分たちの歴史や今の自分たちのあり方そのものを
否定することが、平和な世界を創る再前提であると思い込まされ、
またマスコミも意図的にそのように報道しています。

  今日の「痛いニュース」より
    「・・・国歌斉唱を削除」 ・・・ マスコミの実体を知ってください。

すべては当たり前のことを当たり前に、
正しいことを正しいこととして認識するところから物事の判断は始まります。
世界情勢が混沌としている今だからこそ、
日本の過去の歴史の本当の姿を正しく見つめることが求められます。

自虐的な歴史観イコール平和思想、
過去の日本は好戦的軍国主義国家であったという
誤ったステレオタイプな認識は捨ててください。

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田中 正明

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パール判事の碑の前に立ち、
当たり前のことが当たり前のこととして人々の心に伝わっていく
世の中であって欲しい、
また自分もそのための役割を果たしていきたいと願いました。

そして母の命日に際し、
母から与えていただいたこの命を活かしていくこと、
それが亡き母への最高の供養であるということをあらためて心に刻みました。


当たり前のことですが、
当たり前と思えることの中にこそ深い真理があります。

先のページで華原朋美の動画をご紹介しました。


華原朋美 FNS復活直前の密着取材 投稿者 KenKenClip

人格が崩壊した華原朋美は、病院の隔離病棟で二ヶ月間過ごし、
その後でフィリピンで仕事とボランティア活動を行う父親の元へと向かいます。

フィリピンには恵まれない子どもたちがたくさんいるんですけど、
生まれながらにして歩けない、食事が自分でできない、・・・
そういうことを毎日見ていくと、
こんな自分でもやっぱり『ありがとうございます』と思えたので、
自分が健康で生まれてきたことを。
だから今まで粗末にしてきたことを反省できたんです。


当たり前のこと、簡単なことは誰でも十分に分かっている、
それは誰でも持ってしまいがちな誤りです。
当たり前のことこそ最も大切なことです。


人には親切にしなければならない、
困っている人がいたら手をさしのべるべきである、
これも当たり前のことかもしれませんが、
とっさの場合、究極の場合、それが本当に実践できるのかどうか、
自分に問うてみたい思います。

これは殺人現場を目のあたりにして、
人がどう行動するかを撮った動画です。
か弱い女性が身を挺して必死にその現場を阻止しようとしている姿が胸を打ちます。
そしてまた思わぬ行動を取る人も ・・・ 。




三日前の3月16日は盲導犬贈呈プロジェクトの井上わこさんの命日、三回忌でした。
  <井上わこホームページ>

わこさん亡き後も毎年一頭ずつ盲導犬を贈呈する活動は続き、
今年は26頭目に向けて活動をしていきます。

その活動を記念して、このたび広島平和公園に素敵な記念のベンチができました。
元安橋レストハウス対岸の眺めのいいところです。
お近くにお越しの際は是非立ち寄ってみてください。
ベンチの背もたれのところに
『井上わこ盲導犬贈呈プロジェクト』と書かれたプレートが貼られています。






より大きな地図で 井上わこ盲導犬贈呈プロジェクト ベンチ を表示

三日前のわこさんの命日にはみんなでこのベンチの回りに集まり、
お弁当を開いて楽しい一時を過ごしました。
当日はとても天気のいい穏やかな日で、
みんなで集えることの喜びを心から噛みしめました。



いつものように自分が撮影係で記念写真を撮らせていただいたのですが、
写真を撮った後、目が不自由なNさんという方から、
「目が見えないけど写真が欲しいので、自宅に写真を送ってください」
と頼まれました。

住所をお聞きして紙に書くと、
写真代ということで財布を開いてコインを手渡してくださいました。

目が見えなくても写真が欲しいと言われるNさんはどんなお気持ちなのでしょうか、
写真が郵便で送られてきた時、どんな気持でそれを受け取られるのでしょうか、
後でいろいろと頭の中で考えてみたのですが、
自分にはどうしてもその気持を推察することはできませんでした。

自分にとっては目は見えて当たり前、
当たり前のことに日々感謝をしたり、
その役割に思いを馳せることはありません。

けれど当たり前のことは人によって様々です。
どんな身近な人であっても、
自分とその方とはきっと当たり前の感覚が大きく異なっているはずです。

当たり前のことこそ深く感謝すべき事であり、
みなその当たり前の感覚が異なるものである、
そのごく当たり前のことを、再び心に留めています。

2013.3.19 Tuesday  
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