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2013年2月15日 ・・・ ささいなこと

日々すごいが当たり前、奇跡が当たり前、
こんなことをこれまで何度書いてきたことでしょう。
最近はもうどんなすごいことが起こっても、
心がそれで大きく動揺することはなくなりました。

目の前で起こることはすべてが自ら望んだこととはいいながら、
心の奥底まで表面意識で理解しているわけではないので、
その不思議な “すごいと奇跡の流れ” がどのように展開していくのか、
それを頭の中で予測することはできません。

ただできるのは、その流れの真意を感じ、
それを感謝しながら享受し、
その流れの意図する方向へと自らの考えや行動を持っていくこと、
そして自らを正し、私利私欲を捨て、
その流れを止めないように生きていくことだけです。


日々こんな不思議な流れを感じて生きていけるのはとても有り難いことです。
これは今というとてつもない大変革期の時代に生きていればこそであり、
この時代に生を受けたことにとても深く感謝しています。

感謝しているのならその思いを形に表さなければなりません。
その形は別段大きなものである必要はありません。
大切なのは普段のちょっとした心遣いや行動です。

大きなことはできなくても小さなことが実践できる人はいますが、
小さなことができなくて、大きなことを成し遂げられる人はいません。

ささいなこと、日常のことが最も大切であり基本です。


普段の生活の中で心がけていることを二つほど書いてみます。
こんなささいな思いや行動が、
積み重なってその人の運命を大きく左右するものと信じます。

ささいなことは形こそ小さくても、
それがその人の思いや行動の象徴となり、
それが他のすべての思いや行動にも表れてくるのですから。


1.他人の不幸を喜ばない

外を歩いていると、パトカーや救急車が走っているのをよく見かけます。
交通事故現場などでは、多くの人がその事故の有様を面白そうに見学しています。

『他人の不幸は蜜の味』、
これは人の心のあり方を示したことわざであり、
人の心は他人の不幸を喜ぶような傾向があるのは事実です。

けれども『潜在意識に主語はない』のですから、
他人の不幸を喜び、望むことは、
自ら不幸を招き入れることに他なりません。
興味半分で面白そうに事故の様子や他人の不幸を見つめるのは、
人として最も醜い面を露呈しているようなものです。

もしそういう現場に遭遇したならば、必ず心の中で、
「事故に遭った人が無事でありますように」
と心の中で祈るのです。
祈ることを意図的に習慣にするのです。

悪因縁を招きかねない現場で、
それを良因縁を導く行動が取れたなら、
こんなに素晴らしいことはありません。

他人の幸せを祈ることのできる人間になるには、
こんなささいなことひとつひとつの積み重ねです。


2.身勝手な行動を慎む

自分さえよければ、という思いや行動も、
いつかは必ず巡り巡って自分の元へと帰ってきます。

これも先のものと同じ、
ささいな思いや行動の積み重ねが、
いつしかその人の人格や運命をも形作ります。

自分さえよければというのは、
他人の不幸を望むことと同じです。
それが時を経て自ら不幸を呼び込むことになるのです。

これはいつもとても気になっていることで、
以前もどこかのページに書いたことがあると思うのですが、
スーパーの食料品売り場で、
店員の方が棚の後ろに入れた新しい商品を狙い、
前に並んだ商品をかき分け、
棚の中で最も新しい日付けのものを手に入れようとしている姿、
これは醜いと同時に実に浅ましい、まさに餓鬼の世界です。

スーパーの棚に並んでいる食料品で、
数日の内に消費しないと腐敗してしまうようなものはほぼ皆無です。
賞味期限が数日違っても、
味覚はもちろん化学分析してもその差はほとんど検知できないでしょう。

けれど商品としての差はほとんどなくても、
それを求めて棚をかき分ける行動、そしてその思い、
これはしっかり宇宙の果てまで届き、
いつか必ずその人の元へと帰ってきます。

毎日買い物のたびに「自分さえよければいい」という思いと行動を実践している人に、
真に人を思いやることができるでしょうか。
これは誰も知った人が見ていないからいいといった問題ではありません。
こんなところにその人の本当の品位や人格が現れます。

またそういった行動を取ることによって、
賞味期限切れの商品が大量に棚の中に残り、
それらを廃棄しなければなくなったなら、
その人はとても大きな罪を作ったことになります。

人間は他の生き物の命をいただかなければ生きていくことができません。
ですから食べ物には深く感謝をし、
“いただく” という姿勢を持たなければなりません。

いただくという感謝の姿勢は、
食べる前に手を合わせる、「いただきます」という言葉を口に出す、
食べ物を残さない、
そしてスーパーの棚から新しいものを求めてあさらない、
そんなことも含まれています。


ささいなこと、人として当たり前のこと、これが大切です。


・・・ 命をいただく ・・・

その絵本の帯に、一人の名もない主婦のメッセージが書かれていた。
「朗読を聞いて、うちのムスメが食事を残さなくなりました」
絵本に「坂本さん」という人が登場する。実在の人物である。

坂本さんの職場では毎日毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。牛を殺すとき、牛と目が合う。
そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。
「明日の牛か・・・」と坂本さんは思った。

しかしいつまで経っても荷台から牛が降りてこない。
不思議に思ってのぞいてみると、10歳ぐらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何かを話しかけている。その声が聞こえてきた。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ・・・」
坂本さんは思った、「見なきゃよかった」
女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。
「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。
明日はよろしくお願いします・・・」

「もうできん。もうこの仕事はやめよう」と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。
しのぶ君はじっと聞いていた。

一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。
「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん」

しかし坂本さんは休むと決めていた。
翌日学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。
「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」

坂本さんの心が揺れた。そしてしぶしぶと仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。
「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならないとみんなが困るけん。ごめんよう」と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。
殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。
坂本さんが「じっとしとけよ、じっとしとけよ」と言うと、みいちゃんは動かなくなった。

次の瞬間、みいちゃんの目からは大きな涙が落ちた。
牛の涙を坂本さんは初めて見た。

  「いのちをいただく」 ・・・ 印刷用PDF版

いのちをいただく
いのちをいただく 内田 美智子

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2013.2.15 Friday  
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