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2013年1月22日 ・・・ 究極のバランス

一年前から伊万里の陶匠高麗誠さん(鍋島瀬兵窯)という方と
懇意にしていただいています。
  <オーディオの旅・伊万里>



彼とは心の奥の根底が共通しているからお付き合いしているのですが、
その表面にある体型、生き様、考え方、
そういったところはまったくと言っていいほど好対照で、
彼は自分よりも十歳以上年下なのですが、
陶芸はもとより武道や芸術全般等々驚くほど広範囲に極めた知識と技を持ち、
彼からいつもいろんなことを教えてもらっています。


昨年秋頃だったと思うのですが、
その高麗さんから、素晴らしい陶芸家の作品展が広島であるから是非行くように
との連絡をいただきました。

芸術の中では、音楽や絵画はとても興味があり、
自分なりの嗜好をもって鑑賞していますが、
陶芸のことはさっぱり分かりません。
過去にも美術館等で有名な陶芸作品は数多く見てきましたが、
一度たりともその奥深い価値というものを感じたことがありません。

けれど高麗さんから言われたならば行くしかありません。
作品展のある会場は市内中心部のデパートだったので、
街に出たついでに足を伸ばしてみることにしました。


そこは玉峰窯 銀河釉 中尾哲彰という方の陶芸作品展でした。



銀河釉(ぎんがゆう)という名前だけあり、
並べられている陶芸作品のすべてがまるで銀河の星のように輝き、
宇宙を感じさせる深みを持っています。
  <銀河釉の特徴>

残念ながら写真からは、
その輝きのほんのわずかな部分しか感じることができませんが、
「ギャラリー」からその美しさの一端を感じ取ってみてください。

これまで陶芸にはまったく心動かされた経験がなかったのですが、
生まれて初めて、優れた陶芸作品とはどういったものなのか、
そういった作品と対面した時、
心の中がどういった反応をするのかを体感することができました。

そしてそれは自分にとって未知の体験だったので、
その時に感じたことを言葉で上手く表現することができません。

いい陶芸作品を作り上げるには様々な要素があるはずです。
その様々な要素すべてが高次元で結晶し、
人の心を動かすものを創り上げられたのだと推察されます。

けれどなぜこれまで見てきた巨匠の陶芸作品には何も感じず、
銀河釉の放つ輝きには心奪われたのか、
そこのところは自分でもよく理解できません。

銀河釉の立派な作品には、百万、二百万円といった値札が掲げられていましたが、
もし自分にお金があればすぐにでも手に入れたいと思うほど魅力を感じます。

もし銀河釉の作品が家に飾られていたならば、
きっとそれに似合う生活環境に整えたいと願い、努力するでしょう、
それだけでも十分に価値があります。


高麗さんから、作家の中尾哲彰さんは誰よりも陶芸の技法を極められた方で、
陶芸だけではなく、
様々な分野に異彩を放つ傑物であるということをお聞きしていました。

その中尾さんと、二度会場を訪れて
二度ともゆっくりとお話を聞かせていただく機会を持ちました。

温和な芸術家肌の中尾さんは、
ご自分の中に深い哲学と世界観を持ち、
そのお話から受ける印象は、当然ながら、
陶器である銀河釉から受けるのとまったく同じものでした。


その銀河釉からお正月に年賀状をいただきました。



その年賀状を見た時、
銀河釉の魅力は、やはり究極のバランスの上に成り立っているものだということを
直感しました。

素人の自分にもすぐに理解できるのは見た目、形です。
この陶器の美しさ、これはほんの少しでもバランスが違えば、
この美しさはでないでしょう。
まさにたった一枚のカミソリの刃の上に乗っているような究極さを感じます。

陶器だけではなく、枝、葉っぱ、文字、全体の配置、光、
どれをとってもこれ以上は望めない最適なバランス関係を保っています。

この年賀状を手にとって見た瞬間、
ハガキの回りの空気が一瞬止まったかのように感じました。

このバランス感覚は見てすぐに分かる部分だけではないでしょう。
素材の吟味、焼き方、釉薬の塗り方、・・・
陶芸を作る上で欠かすことのできないすべての作業で、
きっと見た目と同様の究極のバランス、ピンポイントの選定が
行われているに違いありません。

人はみな超能力者、超感覚の持ち主です。
そういったことを意識、無意識で感じ、
それが人の心を動かす最も重要なものなのだと感じます。


究極のバランス、・・・
バランスが最も大切であるというのは愛であり救いです。

「鏡の法則」のところにも書いたように、
神棚にはご神体として鏡が置かれ、
そこには神棚を拝む人の姿が面対称として映し出されます。

自分と対極の姿を神として拝む、
ここに深い真理があります。

それは自分と相反する属性、
自分にないものを持つものから多くを学ぶということであり、
自分自身の(左右の)バランスが取れた時、
鏡に映る神の姿と自分とが同一になるということを意味します。

“かがみ” に映る “かみ” の姿と自分とを同一にするためには、
“が(我)” を取り去ることが必要です。
その意味で我とはバランスの取れていない状態であり、
そこからバランスの取れた状態に移行することを、
“さとる(差取る、悟る)” と言い表します。


バランスを取って神になることは誰にでも可能です。
神棚の前に座る人の性別、国籍、体型、性質、・・・
そういったものは一切関係ありません。
ただその人なりの属性のまま、
その中でバランスを保っていけばいいのです。

どんなに学がなくても、どんなに貧しくても神になれる、
だからバランスの尊さは愛と救いの表れなのです。


陶芸についてまったくの素人である自分に、
銀河釉の持つ輝きの秘密がどんなところに隠されているのか、
それを知ることはできません。

もしかしたら極めて高価で希少な素材を使ったり、
通常では手に入らない道具が用いられているのかもしれません。

けれど表面で美しさとして感じられるのは、
誰にでも手を加えることのできるごく当たり前のバランスを、
究極まで突き詰めて為し得た世界です。

銀河釉の陶器の姿から受ける印象は、
形と言うよりも佇まい(たたずまい)と表現する方が適切です。
それぐらい有無を言わさぬ凜とした空気を感じます。


今年も銀河釉の作品展が広島であるようなので、
その際には是非また足を運んでみようと思います。

  2/21〜25  大牟田ギャラリー集い
  4/10〜15  広島アルパーク天満屋
  4/29〜5/5  有田陶器市


※ 銀河釉さんからいただいた年賀状で、
  お年玉切手シートが当たりました♪
  今年はツイてるかもしれませんね。 (^o^)v

2013.1.22 Tuesday  
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