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2013年1月15日 ・・・ 人として

このホームページでたびたび紹介している
清水十輝くんという男の子をいつも応援しています。

弱冠19歳の十輝くんは日米ハーフのイケメンで、
「今どきこんな子がいるのか ・・・ 」
と思えるほど可愛い笑顔と優しい心の持ち主です。

彼はミュージシャン志望で、
いつもライブハウスや平和公園にかかる橋の上などで路上ライブをしています。

機会あるごとに彼の歌とギターの演奏を聴くのですが、
聴くたびにどんどん成長し、
歌にも演奏にも迫力と人の心を惹きつける説得力が増してきているのを感じます。



その十輝くんが、昨年からギター一本抱えて全国をヒッチハイクで旅をしています。
見知らぬ人の車に乗せてもらい、時にはご飯をご馳走になり、宿を提供してもらい、
それらにありつけなかった時にはテントの中で寝袋にくるまって休み、
全国各県を回り、すべての都道府県で
自分のCDを10枚以上売ることを目標にしています。

その様子はいつも彼のブログ「This is Life」に綴られていて、
それを見ながら、自分も少しだけ一緒に旅をしてる気分に浸っています。



先週金曜日、何気なくその日の彼のブログを見てみると、
滋賀県から奈良へ入ったけれども、
五日間お風呂には入っていないということが書かれていました。

そこで十輝くんのケイタイに連絡を入れ、
奈良県天理市にある私の天理教の先生のところに行くように伝え、
先方にも連絡を取り、すぐに手配しました。

その後無事天理に入り、宿や食事、五日ぶりのお風呂も提供してもらい、
天理の駅前では路上ライブも行ったようです。


彼は本当に純粋な心を持った素晴らしい青年です。
音楽性、ルックス、すべての面で恵まれていて、
いつかメジャーデビューできる日が来ることを願っています。

けれど純粋な心を持ち、人に対しても誠意を持って接することのできる彼ですが、
誠意とは心の中に持っているだけではダメで、
それを形として表に表さなければ、それを人に伝えることはできません。

彼はまだ若く、社会経験も少ないがゆえ、
そこのところがまだあまり上手に表現することができず、
気が付いた時にはいつもそのことを注意していました。


このたびじっくりと彼のブログに目を通し、
旅先で出会った人たちからブログにコメントが入っているにも関わらず、
それに対して十輝くんのレスがなされていないことが気になりました。

このことは以前にも彼に伝えたことがあったのですが、
再度彼に対して、
ブログのコメントにはキチンとレスをするようにとメールで伝えました。

するとしばらくして彼からメールの返信がありました。
ブログコメントのレスについてはいろんな人たちから意見をもらい、
その中には、アーチストはメールの返事はしても、
ブログのコメントにはレスしなくてもいいのではという考え方があったのだそうです。


考え方は人それぞれです。
そういった考え方があるのも分かりますが、
息子のように可愛がっている彼にはそんな考え方をして欲しくないと思い、
すぐに厳しい言葉を交えた長いメールを送りました。


アーチストというのは普通の人とは違う特権階級の人間なのか、
あなたはヒッチハイクで沢山の人達から計り知れないほど世話になっているのに、
そのご恩をどんな形で返していけるというのか、
アーチストである以前に一人の人間として、
恩を受けた人たちに対してどう誠意を尽くしていけばいいのか、
そう考えたら答はひとつしかないでしょう。

立派なアーチストになるよりも、
まず立派な一人の人間になってください、
その方が何万倍も価値があります。

  ・・・ こんなことを書きました。そして更に、

これは自分の考え方であって、これとは違う別の考え方もあるでしょう。
私は自分の考え方が絶対に正しいとは思いません。
どんな考え方を受け入れるかは十輝くんの自由です。
けれどもし十輝くんが、
「自分はアーチストだからブログのコメントにはレスしなくてもいい」
と考えるのなら、私は今後君のことは二度と応援しません。

  ・・・ 少し厳しいかもしれませんが、これが彼に対する私の愛情表現です。


こんなようなことを書いたメールを送ったその後で、
彼は天理でのこと、
私のメールから感じたことを書いたページをアップしてくれました。
  <ここ奈良では、ここナラデワの優しさ(//∇//)>

ヒッチハイクでたくさんの人たちから恩を受け、
それを今できる限りの形で誠意とともに返していき、
いつかその恩を人様に授けられる人間になる、
十輝くんは今人間として大きく成長していく過程にあるのだと思います。


この混沌とした世の中において、
いろんな価値観を持ち、いろんな生き方をしている人たちがいます。
価値観、生き方が違う人たちに、その価値の優劣を付けることはできません。
またその持てる能力に一元的尺度で序列を付けることもできません。

そんな中で大切なのは、
「人としてどうあるべきか」、
そのことをきちんと守って生きているのかどうかだと感じます。

自分の持つ特異な運命として、
これまで数多くの傑出した能力を持つ人たちや、
命懸けで神と対峙する宗教家の方たちと数多く出会ったきましたが、
そういう人たちと接することに慣れているせいか、
そんな人たちが特別に人間的に優れ、尊い人たちであるとはほとんど思いません。

そういった人たちは、暗算が人より得意であるとか、
虫取りが上手であるとか、
そういったこととさほど変わりがないと感じます。

野球で例えると、
人より速いボールを投げられたり、
バットでボールを遠くまで飛ばすことができたなら、
もしかしたらプロになって、年俸何千万、何億円も稼げるようになるかもしれません。

けれど人生という長いゲームにおいては、
みんなと仲良く試合を楽しめる、ルールを守れる、
道具の後片付けをキチンとできる、
こういった普通のことがとても大切になのです。

そしてこの普通のことを行うのがとても大変です。

「人としてどうあるべきか」、
この最も基本的なことが、自分自身しっかりできているとは思っていません。
過去も現在も、人に言えない恥ずかしいことがたくさんあります。

だからこそ自戒と自己決意表明の意味も込めて十輝くんに厳しいことを言い、
またそのことをここに書いているのです。


人として恥ずべき思いが自分にあり、
それを何とか払拭したいと願うがゆえ、
人が嫌う公衆トイレの汚れた便器を磨いています。

心の中にやましいものがあるからこそ、
便器を磨けば心も磨かれ、その罪の一端が消え去ったかのように感じるのです。
それは自分だけではなく、
トイレ掃除活動にのめり込んでいる人の多くに共通するところかもしれません。
決してみなまったく問題のない善男善女であり、
そのあふれんばかりの公徳心から行っているのではありません。

そのことを昨年感じ、
本来向き合うべきは公衆トイレの便器ではなく、
その人として恥ずべき自分自身の生き方なのだと気が付くようになり、
一歩公衆トイレ掃除活動から遠ざかるようになり、
今またその気持が再度わき上がってきています。


簡単なことほど深く、大切であり、
またそれを行うのは難しいのです。


若いっていいですね。
十輝くんのように自由に伸びやかに行動し、
いろんな人たちのお世話になり、厳しい言葉もかけてもらい、
それらひとつひとつを己の糧としていく、
彼を見ていて、自分ももっともっと可能性にチャレンジしてみたくなりました。

十輝くんはこれからも全国行脚を続けます。
もしみなさんのお近くに来た時には、是非励まして言葉をかけてやってください。
ついでにご飯もご馳走してくだされば有り難いです。 ^^☆
  <Thi is Life>

Thi is Life.  自分なりの人生をエンジョイしていきましょう♪♯ (^o^)v





2013.1.15 Tuesday  
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