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2012年12月16日 ・・・ 誕生日に思う

例年12月は最も気ぜわしい時期ですが、
今年は特にその感が強く、
ホームページに書きたいこともいくつもあるのですが、
更新するための時間がまったくありません。

時間はとても貴重です。
Time is money. ではなく、Time is everything. 、
「時はすべてなり」です。

そんな気ぜわしい中、今年も今日16日、無事誕生日を迎え、
歳を一つ重ねることができました。

今日で53歳になったのですが、
特別な感慨はありません。
自分の年齢よりも、今日の総選挙の結果、
これから短期間の間に世界情勢はどのように変化していくのか、
そういったことの方に意識が傾きます。

これから本当の意味での激変の時代を迎えます。
今できるのは、心してそれを迎えること、
一瞬一瞬を大切にしていくことだけです。


一般的に女性に歳を聞くのは失礼とされ、
ある程度以上歳を重ねた女性に対し、
直接年齢を尋ねないのが礼儀となっています。

けれどこのことについて、十代の頃からとても違和感を感じていました。
それが礼儀となる背景には、
「女性は歳を取ると価値が下がる」という意識、価値観があり、
これはとても寂しいことだ思います。

年齢とともに培っていく経験や知恵というものを軽視する文化、
歳を取っても有益な知識や知恵を習得できない社会の在り方、
機能性のみを重視する現代社会の薄っぺらさを感じるのです。


懇意にしていただいている被爆者のお年寄りが最近入院をされ、
そのお見舞いのため、ほぼ毎日病院通いをしています。
病棟にはたくさんの職員の方がおられるのですが、
その中にとてもよく気がつく年配の看護助手さんがいて、
その方の気取らない心遣いと行動にはいつも心を和ませてもらっています。

どこの方言か分かりませんが、訛りの強い言葉で話をし、
廊下で出会っても、病室に用事があってこられても、
必ず一言二言、何か声をかけていってくださいます。

それは余分な私語のようなものでもあったりするのですが、
その言葉の裏に、
彼女なりの相手に気を遣わせないための心遣いを感じ、
しかもそれが実に自然でさりげないがゆえ、
不安が先走る病院の中で何よりの心の安らぎとなるのです。

これは学校でテクニックを学んだり、
資格を取得したからといってできるものではありません。
言うなれば年齢とともに培った経験と知恵による “人間力” のなせる技です。

こういったものにもっともっと価値を置き、大切にする文化があれば、
日本は真の意味で豊かな国となることができるでしょう。


また逆に、歳は取っていなくてもすごい人が世の中にはいるものです。
12月7日(金)、毎週参加している積極人間の集いの講師として、
弱冠17歳の山本みずきさんという女子高生が福岡から来てくださいました。
  <Small traveler 山本みずき>

17歳の講師というのは過去最年少ですが、
彼女の経験していることと考え方は並みではありません。
これまで国連等の活動で30回近く海外に渡り、
その中で国家というものはどうあるべきかという
しっかりとした価値観を持っておられます。

積極人間の集いはメンバーは50代、60代が中心で、
みなしっかりとした自分の考え方を持っています。
そういった方たち三十名ほどの前で、
国家とはどういうものか、またどうあるべきか、
そんなことをまったく臆することなく堂々と語るのですから、
完全に圧倒されてしまいました。

日本は他国と陸地での国境線を持たない島国です。
またほぼ単一民族国家であり、
他との境を明確にしない障子文化の国です。

そんなこともあってか今の日本人は国家に対する意識が低く、
国家を敬愛することなく、また国旗や国歌もほとんど尊重することがありません。

今の学校教育では国歌の君が代を歌わないということは知っていましたが、
子どもたちは歌わないだけではなく、
それ以前に学校で習わないため、
君が代の歌詞自体を知らないのだそうです。
そのことを山本さんの話から知りました。

日本ほど国家、国旗、国歌に対する意識の低い国はない、
このことは他国の人たちに説明のしようがない、
山本さんはそう語っておられます。


山本さんの学校では学校行事で国旗は掲揚しません。
国歌も歌いません。
けれども先生に対しては礼を示さなければならず、
起立、気をつけ、礼、をしなければなりません。

生徒会長である彼女はこのことに疑問を呈し、
「国家に対して礼を示さないのですから、
 生徒会の決議で先生に対して起立、気をつけ、礼はしないことにします」
と先生に言ったそうです。

そうすると先生はこう答えたそうです。
「日本という国は戦時中に他国に侵略し、多くの人々を虐殺し、
 とても罪深いことをしてきた、だからそんな国家に礼を示す必要はない。
 けれど先生たちは君らに物事を教える人だから、
 きちんと礼を示す必要がある」 (細かい文言は不詳です)

この言葉には聴いていた一同からどよめきが起こりました。
けれどこれが教育現場の現状でしょう。


過去の日本の歴史上の行いについて、
どう解釈するかは人それぞれであり、
自分の考え方が正しいと強制するつもりはありません。
ただ事実に対しては、
真摯に目を向けていただきたいと思います。

まずは太平洋戦争を侵略戦争とし、
主導した軍人たちを戦争犯罪人として裁いた東京裁判は、
まったく裁判の体をなしていない戦勝国による一方的断罪であったということ、
このことを正確に認識しなければなりません。

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この時点で誤った認識を持った(持たされた)がため、
それに基づく嫌国家観、反国家観が生まれ、
現状の第三国による日本の政治、マスコミの支配体制の元凶となりました。

そしてそれがあまりにも行きすぎたため、
そしてその事実をマスコミが報道しないがため、
インターネットで真実を知った若者たちを中心としてネット右翼という勢力が
生まれました。


今日の総選挙では自民党が圧勝の模様ですが、
昨日の秋葉原の自民党選挙演説会場には、
ものすごい数の日の丸が集まりました。
これは巨大化する反日勢力に対する
バランスを取るための反作用という物理現象とも言えます。
  <自民党の秋葉原演説会場がすごいことになってた・・・なんだこれは>




右翼、愛国というと、あまりいいイメージを持たない方も多いかもしれません。
これは意図的にそういう風に思想誘導されてきたためです。

敗戦後、軍歌を流すことはGH!Qにより禁止されました。
唯一の例外がパチンコ屋で、
そこで軍歌(軍艦マーチ)を流すことは許されたのです。
これは軍や軍歌を貶めるための方策です。 (異説あり)

時折街中で国防色(深緑色)に塗りたくった右翼の街宣車を見かけます。
巨大な荒々しい音量で愛国を唱え、
あれを見て国を愛する気持が芽生える人は皆無でしょう。
ではなぜあのような活動をするのか、
理由は簡単です。
日本の人々から愛国心を消し去りたいからです。

日本を裏側で支配したい第三国の勢力が資金を提供し、
日本人に自国を嫌悪する精神を植え付け、愚民化させ、
自分たちの手で日本を操りたい、
実に単純な構造です。

事実は現象の裏側に存在します。


積極人間の集いでは、いつも会の最後に、
主催者である広島キリスト教会の植竹利侑牧師による言葉があります。

先日山本みずきさんが国家観の話をしてくださった後は、
「国というものが集団的エゴの元凶です」
ということを話されました。
深く広い愛を持った植竹牧師がそのように言われるのは当然です。
それはまったく正しい認識だと感じます。

過去大きな争いは、国という単位ごとに行われてきました。
国と国とが戦い、また国を守るという名の下に、
国の中で人々が人権を阻害されることも多々ありました。
これは紛れもない事実です。

けれど、だからと言って国という組織を無くしてしまうと、
ほとんどすべての統制は崩れ、無政府状態となり、
よりミクロの争いが頻発するであろうことは火を見るよりも明らかです。

国というのはエゴによって生まれ、またエゴを生み出すものでもあり、
そしてその上エゴを統制、制御するものでもあるのです。

一昨日、アメリカで小学生児童20名を含む26名が惨殺されるという
恐ろしい銃乱射事件が起きました。
銃は人を大量に殺戮できる凶器であると同時に、
アメリカ人にとっては、我が身を守るための大切な道具でもあります。

例えは悪いですが、
諸刃の剣という意味で、国と銃とはよく似ています。

そしてもっと広く考えたなら、
すべてのものは関係性によって価値が変わるのですから、
どんなものでも諸刃の剣という二面性を持っています。
包丁でも人を殺すことが可能ですし、
それを使って美味しい料理を作り出すことができます。
お餅は食べると美味しいですが、
喉に詰まって死んでしまう人が毎年何人も出ています。


日本人の持つ性善説、義侠心、
国家という枠組みを超えた博愛主義、
これはとても素晴らしいものだと思います。
日本人に愛国精神が欠如しているのは、
反日思想が浸透したからだけではなく、
日本民族の持つ大きな心が、
国境の枠を越えているのも一因としてあるのだと感じます。

これはとても素晴らしい理想的なものではありますが、
その理想が理想として機能するためには、
他のすべての国が同様の思想を持つことが必要であり、
それが世界の思想のスタンダードではない現状を考えると、
その理想は単なるお人好しで世間知らずの弱みとして受け取られ、
対外的に大きな不利益を被ることにつながります。

その理想は理想として持ち続け、
それと同時にそれに相対する強さを持たなければなりません。

そしてその後、
日本の持つ素晴らしい考え方を世界に浸透させていく、
日本はそういう天命を持つ国だと感じています。


国は集団的エゴの代表格ですが、
それと同時に、人類という集団もまたエゴの塊です。

知的に優位に立つ人類は多様な生物が共生する地球上で、
あたかも絶対的な権力を持った独裁者であるかのように振る舞い、
生命を保つ大切な棲み家である地球環境を完膚なきまでに破壊し尽くし、
重要な食物連鎖の一角を担う数多くの動植物を絶滅に追いやりました。

今こそ緊急にこの人類的エゴを捨て、
地球環境との共生思想を社会システムの基礎に置いた暮らしをしなければ、
人類の明日はなきものとなります。
そしてそのための礎となるのが日本人の持つ伝統的思想であり知恵です。


すべてのリセットが求められている今この時、
原点を振り返り、そこから正しい認識でもって物事を見ていきたい、
この世に生まれ落ちた日を振り返る今日という日に、
願いを込めてそのことを思います。

2012.12.16 Sunday  
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