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2012年11月28日 ・・・ 簡単なこと

このヨガナンダのホームページも少しずつ更新を重ね、
気がつけばかなりのページ数になってきました。

ページ数が増えて良くなったのは、
かなりボリュームがあるのだから、
少しぐらい以前書いたことを重複して書いてもいいだろうと、
多少気が大きく持てるようになったことです。

実際に同じことを複数箇所で書いているものがいくつもあります。
また表現の仕方は違っても、
同じようなことを繰り返し書いているところも多々あると思います。

けれどこれは仕方ないですね。
自分の考えていることで大切にしているものは、
そうたくさんあるわけではありません。

また私は「深い真理ほど簡単で身近なものである」という考え方を信じ、
大切にしているのですから、
そのシンプルなものを伝えようとすると自ずとそうなってしまうのです。


簡単なことだから一度知れば大丈夫で、
何度も聞かなくても十分に理解できるかというと、
まったくそうではありません。

友だちとは仲良くする、決められたルールは守る、
使った道具はきちんと後片付けをする、・・・
幼稚園で習ったであろう基本的ルールをまったく守れない大人たちが、
この世の中には数え切れないぐらい存在します。

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簡単なものはシンプル(簡潔、単純)であり、
いくらでも他に応用が利くのですが、
高度に機能化した現代社会においては、
その最も根幹にある大切な部分を当たり前のこととしてあえて目を向けさせず、
その先にある、木でいえば細かい枝葉の部分にのみ意識が行くよう
仕向けられています。

そんな社会に生きる私たちは、
言葉で「深い真理ほど簡単で身近なものである」ということを言われ、
頭で知ったつもりでも、それを体でまったく理解することができません。

私は健康オタクではありませんが、
体を通して深く心のあり様を知ることができ、
また体を労ることは感謝を伝える具体的方法としてとても大切であると考え、
健康についての知識や知恵を、
「心とからだの健康レポート」というコーナーにまとめています。

そこにはかなりの量のメッセージを載せていますが、
その中でも最も大切だと考えているのは、
自らの手による手当てと口から出る言葉を使った声がけによって
体に感謝を捧げる方法です。
  <体との対話>

このことをこれまで何度も書いてきましたが、
それを読んだ方で、実際にそれを実践している方がどれぐらいおられるでしょうか。

風水という言葉が一般的になりましたが、
風水の基本は、どんなグッズをどこに置き、
カーテンの色を何色にするかというところにあるのではありません。

部屋にあるすべてのものが命を持っているということを知り、
その命を最も活かせるよう、きれいにほこりを払い、
最も使い勝手のいいように配置してあげることです。

そして水は様々な情報を吸収する力を持っているのですから、
水に声をかけるように丁寧に部屋中を水拭きすることです。

このことも言葉では多くの方が納得してくださるものの、
これを実行するのは至難の業のようです。

言葉をかける水拭きに関しては、
幸いにして初めてそれを行った時、
その効果をハッキリと体感することができたので、
それ以降まったく疑うことなく実践することができています。

またこの水拭きに限らず、
こんな簡単なことほどものすごく大きな効果を生むということを
これまでの体験から深く理解、体感しているので、
そうしないと実にもったいないと感じ、体が自然に動くのです。


簡単なことの持つ深い世界を体感し、その恩恵を浴するには、
まずは意識して簡単なことの実践を積み、
その価値を体で感じ取れるようにすることです。
そしてこれまで頭にこびりつかせてきた旧い価値観や考え方を
払拭していかなければなりません。

かくいう私も、それがきちんと実践できているわけではありません。
たとえば音の世界に関しても、
自分がいかに旧来の固定概念に縛り付けられているかを感じることがしばしばです。

昨日ローゼンクランツの貝崎さんと電話で話をしました。
ステレオの音を最も大きく左右する要因は、
スピーカーやアンプといったパーツではなく、
部屋そのものであるということがよく言われます。

そして左右のスピーカーから別々の音が出るステレオは、
その左右スピーカーの中間、左右スピーカーとリスナーの位置が、
きれいな二等辺三角形を描くのが理想とされています。

話は車のステレオ、カーオーティオのことになりました。
始終騒音に囲まれているカーオーディオは、
一般的には理想の音響空間とは思われていません。
けれど貝崎さんは、カーオーディオは普通の部屋以上に
理想的な響きをえられることがあると言われます。

とはいえカーオーディオの場合、
どうしてもリスニングポジションが左右どちらかに偏ってしまい、
それがどうしても悪条件として私の頭を離れません。

それに対して貝崎さんはこう答えられました。

「そんなことよりも、左右のスピーカーの位置が
 ほぼ同じ条件であるということの方が、メリットとして大きい。
 一般家庭の場合、左右スピーカーどちらかのすぐ横に壁があったりして、
 左右のスピーカー周りの環境が大きく異なるというのが一般的だが、
 車の場合はそれがないのが大きなメリットであり、
 それはリスニングポジションが左右に偏るということよりもはるかに大きい」

そしてその理由として話されたたとえ話を聞き、
一瞬にして貝崎さんの言われることが理解できました。

「飛行機でも鳥でも、もし左右の羽の長さが異なっていたら、
 たとえ重心位置が中央にあったとしても、
 絶対にまともに飛ぶことはできないはずだ。
 逆に左右の羽のバランスがきちんと取れていたら、
 重量バランスが多少偏っていたとしても、
 それを補って飛ぶことはできる」

なるほど、納得です。
まさに目から鱗、自分がいかに思い込みから抜け切れていないかということが
よく分かりました。
左右のスピーカーの真ん中に座るよりも、
左右のスピーカーが同条件で置かれるということの方が大切なのですね。

やはり自然は偉大です。
シンプルな自然の中に無限の英知は隠されています。

我々はもっともっと自然に謙虚に、
そして身近な、簡単なことに目を向けていかなければなりません。


簡単なことが大切だということで、
昨年1月ににアップした「シンプル<2>」に書いた一節を引用します。

もう三十年も前に読んだ天理教関係の本に書かれていた一節が、
今も心に残っています。

なにぶん昔のことですので、記憶違いをしているところもあるかもしれませんが、
天理教東本大教会という立派な教会を一代で築いた中川よしという
限りなく深い慈愛と鉄のような行動力を持った布教師のお話です。


中川よしは明治2年生まれ、
信仰に目覚めた若かりし頃、
遠く丹波(兵庫県)の山奥から乳飲み子を背負い、
大和地方(奈良県)にある天理教の教会本部に歩いてお参りに出かけました。

本部では偉い先生が中川よしを前にして話をはじめます。
「遠いところよく来たなあ ・・・ 」
その労をねぎらい、まず語りはじめたのが、
「あのなあ、大切なのはなあ、朝起き、働き、正直やで ・・・ 」

中川よしはその言葉を聴くと頭を下げ、
「いいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
と言って腰を上げ、その場を離れようとしました。

「おいおい、どうしたんですか。今話をはじめたばかりじゃないですか ・・・ 」

「いいえ、私にはそのお話だけで十分でございます。
 今から丹波に戻り、朝起き、働き、正直、その三つをしっかりと実行し、
 それができた後で、お話の続きを聴かせていただきます」


「大きな事を為す人は、ごく身近で簡単なことから着実に実行していくんだなあ」
まだ二十歳そこそこの若造だった私の胸に、
この話は深く響きました。

それから三十年経った今も、胸の中で色褪せることはありません。
それどころか逆に、情報過多の現代だからこそ、
この話の意味する価値というのは高まっているように思えます。



また今日は五体不満足の乙武洋匡さんと難病患者の大野更紗さんの対談を
読みました。
  <『五体不満足』から遠く離れて」乙武洋匡×大野更紗>

そこで大野更紗さんについて関心を持ち、
アマゾンで著書を調べ、そのカスタマーレビューに目を通しました。

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これはその中に書かれていた、
ある重い脳障害の子どもを持つ親御さんのレビューの一部です。

私の息子も生まれつきの重い病気で、その手術が失敗して重い脳障害が出て、毎日今日こそ死ぬんじゃないか?という闘病の時期がありました。本当にラッキーなことに再手術を受けて今は普通の生活を送れるようにはなりましたが、後遺症もあって一生病院との縁は切れないでしょう。

ただ、息子が本当に死ぬか生きるかだった頃、脳障害がひどかった頃、この本を読んでいると当時のことを思い出しました。

特に、息子の脳障害の検査結果を夜遅くに報告に病室に来た医師団が、報告を終えて病室を出た途端に「晩ごはんどうする?」と話し出した時のショックを思い出しました。せめて話し声が聞こえないようなところまで待って欲しかった。

これを患者のエゴと言われるかもしれませんが、患者はいつも主治医は自分に良くなってほしいと思っていて欲しいものです。私にとってこの一件は、彼ら医師団にとって息子は息子という人間ではなくて、例えて言えば動物実験のモルモットと同じようなものなのだな、と認識させられたとても辛い出来事でした。


これを読み、その医師たちを責める資格は自分にありません。
たぶん自分も気がつかないところで同じようなことをしているのではないか、
そのことが真っ先に頭に思い浮かびます。

医学部における医学教育とはどのようなものなのでしょうか。
このお医者さんたちはその医学部で、
たぶん高度で専門的な知識を山のように教育されてこられたのだと思います。
それらはもちろんとても大切ですが、
もっともっと簡単な簡潔な、そして幼稚なところに、
それと同じように大切なものがあるのではないでしょうか。

簡単なことの大切さに気がつかないということは、
何が本当に大切なのかに気がつかないということです。

簡単なことに深い真理があるということは、
幸せになるためには、お金も学歴も、知識も情報も、
それらは必ずして絶対に必要な条件ではないということです。

この生きる上で最も大切なことを、
私はインドの孤児院を訪ねた時、彼らから体で伝えてもらいました。

来年春には再びインドに行く計画を立てています。
心の豊かさはモノの豊かさを否定するものではありませんが、
そのモノとのより上手な関わり方を、
彼らからさらに感じ取りたいと願っています。

2012.11.28 Wednesday  
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