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2012年10月21日 ・・・ 魂との対話

最近もうひとつ考えていることは、
自分の胸の奥深くにある魂と対話ができるかということです。

自分の身の回りに起こってくること、
それらすべては、それ自体に意味も価値もありません。
それに意味や価値を付けるのは、
それを受け止める自分自身の役割です。

けれど意味や価値はないとしても、
因果の法則によって生じた現実という “果” には、
何かどこかに導くための意図が含まれていると考えるのが妥当です。

私自身のことで述べるならば、
3年半前にトイレ掃除の活動を始めた時から
急激に奇跡のような出来事が頻発するようになり、
そして今年になってからはさらに想念の持つ力が増大し、
何か事を起こした後は、そこから生じたと思われるような反応が、
きわめて早く、かつ明確に現れるようになってきました。

その反応というのは、
ほとんどすべてが意図するものを明らかに感じることができるもので、
因果律の不思議さ、精妙さとともに、
そこから自らの行動を律し、今後の指針を見つけ出すことができます。

けれど中には、これは偶然ではない、大きな意図があることだとは感じられても、
それを自分の中でどのように消化していけばいいのか分からないものがあります。

すべての出来事は、自らの真我、魂が引き寄せたものです。
その自らの心の奥深いところから望み、
現実のものとして目の前に現したものでも、
何を望み、自分の顕在意識に対して何を求めているのか、
それが分からないことがあり、頭を悩ませます。

その悩みから生じるもの、それが葛藤です。
この葛藤を味わうため、
たぶんこのような意図の分かりにくい現実を創出しているのだと思われます。

葛藤は悪いものではありません。
葛藤を経なければ得られないものがたくさんあります。
葛藤なき人生はつまらないものです。
すべての正解が明確に分かり、ただ真っ直ぐな道を歩むだけだったら、
苦労がない分だけ人生の深みも喜びも半減します。

しかし目の前で起こることは本当に上手くできているなと思います。
明らかに偶然ではない出来事、しかも自分が強く望むものの中に、
意図の掴みきれないものを含ませているのですから、
まったくもって頭をひねり、心をかきむしり、葛藤しろと言わんがばかりです。

「おまえの今立っているところから一歩踏み出し、
 そこから新たなものを見つけ出せ」
たぶんこれがその意図していることの大まかな意味でしょう。


今求められている葛藤、
その葛藤の通り方として考えていることは二つあります。

ひとつは、幸いなことに現在進むべき道は明確に示されていますので、
その道を着実に邁進し、天命を果たし、
そこからより深い自分自身を確立することです。
葛藤は、そのための大切な推進力になります。

もうひとつは、より深く自分の内側を見られるようになりたいということです。
それが魂との対話です。

時の流れが急激に速くなり、想念の持つ力が増大している昨今は、
身の回りで起こる急激な変化に目を奪われ、
自分の心の内を見つめることがついおろそかになってしまいます。

自分の内と外なる世界は鏡に映る相似の世界であり、
外を見つめることは内を見つめることにも通じるのですが、
頭の中で思考を巡らすことは日常行っていても、
その思考を停止し、心の奥の声に耳を澄ませることはおざなりになっています。

私も二十年ほど前、習慣的に瞑想をしていた時期があったのですが、
ここ最近はすっかり遠ざかってしまいました。

「宇宙の秩序」には、
『対立するすべてのものは、相補的である』
と示されています。

思考をフル回転されて葛藤から脱しようとすることはひとつの極であり、
そこから生まれる効果をより高めるためには、
その対極であり、相補的役割を果たす “思考を停止させる” ということを
行うのが望ましいのです。
  (行動、実践も、思考とは別の面での対極となります)

そしてそのことを、現在自分の心が強く求めているのを感じます。


私は母が亡くなった時、
母の愛情によって、母の魂と触れ合うという貴重な体験をすることができました。
  <母の愛>

自分の胸の奥には、
完璧な光に満たされた最高に尊い魂が存在し、
心から望めば必ずそれと対話をすることができる、
これは私が確信を持って感じていることです。

感じていると言うよりは、
そうであるということを “知っている” と言った方が正確でしょう。
それぐらい深い確信を持っています。

もちろんこれは誰にでも通じることであり、
どんな極悪人であったとしても、
その魂はきっと汚れのないものです。


こんな経験をしたにも関わらず、
これまではその魂の存在を、
まるで遠くから一方的に見守ってくれる守護霊のような感じで捉えていて、
いつもそこには背中を向けたまま、
あるいは一方的に話しかけるばかりで、
面と向かって見つめ合い、
その魂と深く対話をしようとは考えたこともありませんでした。

けれど今はひとつの機が熟してきたことを感じます。
もっともっと心の奥、魂を見つめて欲しい、
そんな声が胸の深い部分からささやかれているように感じるのです。

魂と対話をする、
これはものすごく大げさなことのように聞こえるかもしれませんが、
たぶん文明の利便性にどっぷりと浸かる前の我々人間にとっては、
ひとつの生理的行動と呼べるぐらい身近なものであったのだろうと思われます。

これには特別なツールもノウハウもいりません。
そのための準備は十分にしてきました。
ただ心を見つめる、その心を通してより深い魂と対話する、
ただそれだけです。
  (本来準備などはいらないのですが、
   様々なモノやこだわりを抱える現代人にとって、
   まずはそれを手放すことが準備です)


これから少し指向を変えて、
思考と無思考、頭脳と魂、この対極であり相補的な関係を大切にし、
新たな人生の一歩を踏み出したいと考えています。

こんなことを思いついたのも、
大切な葛藤を経験させていただいたお陰ですね。
もうこれだけで葛藤は半分以上解決し、
その意図も大部分が見えてきた気がします。

葛藤って有難いですね♪

2012.10.21 Sunday  
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