ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > 日々の思い > 2012.9.16



ヨガナンダ



2012年9月16日

日々淡々と過ごしていても、
ある時何かをキッカケに、ふと思いが吹っ切れることがあります。

先日ご紹介した桜井章一著の「ツキの正体」を読み、
これまで漠然と感じていた “自然な生き方” に、
より深く得心ができるようになり、
肩の力が一気に抜け、気楽になりました。

この気楽になるということが、
感性を重んじる自然な生き方にも通じます。


多くの人が志すスピリチュアルな生き方とは、
こうした自分の内から湧いてくる
自然な感覚を大切にしていくことであるはずですが、
今更ながらではありますが、
実際は、スピリチュアルの世界には、
たくさんの理論理屈やノウハウがあふれています。

開運の極意、アセンションセミナー、・・・
それらがすべて悪いわけではありませんが、
それらはあくまでも自分をしっかりと見つめるための道具であり、
それらが主体となり、それらに依存してしまっては、
最も大切な自分の価値を見失ってしまいます。

表大なれば裏大なり、
それらが強力なパワー、求心力を持つものであればあるほど、
視点が自分の内から外へと逸れてしまう危険性が大きいのです。


それがパワフルであるかどうかは、
そのものの持つ価値とは何の関係もありません。
価値とはそのもの自体にあるのではなく、
自分がそれといかに関わるかという、
関わりの中に存在します。

逆にそのものが持つパワーが大きければ大きいほど、
視点が自分の外部であるそのものに移っていくと同時に、
「これさえしておけば大丈夫!」と、
本来対峙しなければならない課題から離れていってしまいます。


「ツキの正体」の中に書かれている、

麻雀も人生も選択の連続だ、とすでに述べました。
無数の選択の中には、間違いだってあるはずです。
そのとき、必要なのは、修正力です。
自分で選んだ結果を淡々と引き受け、
それを補っていい流れへ戻していくための努力を惜しまない力です。
 ・・・ そして、これを十分に備えていると、選択に迷いがなくなります。
選択を誤ることを恐れなくなります。
失敗しても修正していけばいい、という自信が生まれるからです。
修正力は、トラブルに立ち向かうための原動力であり、
いい流れを作り出すための原動力なのです。


という文章を抜粋して紹介しましたが、
この文章の前には、

ただし、実生活の様々な問題を、ゲームのように、
「リセット」で解決しようというのは乱暴きわまりない話です。
結婚生活がうまくいかないから、離婚する。
上司がいやだから、退社してフリーターになる。
飼っていたペットの世話が面倒くさくなったから、捨ててしまう。
いま社会で問題になっていることは少なからず、
「リセットで楽しよう」という発想から生まれているように思うのです。


ということが書かれていますが、これもとてもよく理解できます。


何か外のパワフルなものを求める気持の裏には、
面倒な問題から目をそらし、
それらをいったんリセットしたいという気持があるのではないでしょうか。

またそういう気持がなかったとしても、
パワフルなものと触れていると、それに酔いしれ、
抱えている課題が自然と解決されたかのような気持になることがあります。
だとしたら、それは現状逃避にもつながります。


いつもトイレ掃除の例を出しますが、
トイレ掃除は、強力な “心磨き” のツールだと感じています。

その心磨きのツールを活用し、
自分が対面している様々な課題に取り組む力を得られたらいいのですが、
そうではなく、トイレ掃除が最終目標になってしまっては、
それは本末転倒です。

取り組むべきは、自分に与えられた自分だけの課題であり、
それを正面から見つめ、修正していくことです。

トイレ掃除は心磨きの強力なツールであるがゆえ、
そういう危険性も大きくあるのです。


受験勉強でも、これまでこなしてきた課題の不完全な部分をそのままにして、
手当たり次第新しいものに取り組むよりも、
これまで間違ってきた部分を丁寧に補強しながら学習を進める方が、
効率的かつ確実に実力がついていくのと同じです。

今はものも情報も大量にあふれかえっている時代なので、
自分の見たくないところから視線を外し、
より新しいものへと目先を変えていくことが簡単にでき、
それが「リセットで楽をしよう」という考え方を生む要因となっています。


今は時代の大転換期、
すべての価値観や文明をリセットし、
まったく新しい精神文明を築き上げていく時です。

そしてその本当の意味でのリセットとは、
けっして「臭いものに蓋をする」という発想から生まれてくるのではなく、
過去のすべてを清算し、贖罪し、
それで作った新たな土台の上からスタートするものです。


今の日本は尖閣諸島、竹島問題で、
対外的に大変苦しい立場に置かれています。

そしてここまで問題を発展させてきた原因のひとつに、
日本の歴代内閣の「弱腰外交」があると指摘されています。

なぜ過去の日本国政府は外交に対して弱腰であったのか、
それは日本という国が、
傷ついた内的自己を持っているという観点から容易に理解することができます。

第二次世界大戦終了後の日本は、
それまでの歴史を否定することから始まり、
一瞬にして昨日までの価値観を180度転換することを余儀なくされ、
それを忠実に実行してきました。

戦後外見的には民主主義国家になり、
平和な、平和ボケ過ぎるぐらい平穏な国家を築いてきましたが、
その内面では、自己否定からはじまった新たな文化は、
常に外からの視線を気にし、自分自身を信頼しきれない、
不安神経症的気質を色濃く示しているのです。


このホームページを読んでいただいている方ならお分かりのように、
私は超理想主義者です。
世の中すべての人が愛にあふれ、
軍隊など不要となるような理想社会が実現しなければ、
この先人類の未来はないだろうと考えています。

求めるものは究極の愛であり平和です。
けれどその愛や平和は、左翼的平和思想を持つ方たちが抱く、
過去の日本の歴史を否定するところから築けるとはまったく考えていません。

どこかの国や勢力が、
日本を利用価値の高い “属国” として仕立てるため、
意図的に過去を否定させ、近現代の日本の歴史を子どもたちに指導しないという
異常な環境を作り上げたのでしょう。
そう考えるのが、最も整合性高く理解できます。


私も十年ほど前までは、
戦前の日本の軍国主義は悪いものであり、
そこを否定し、その上に新たな日本人としてのあるべき姿を求めていくこと、
外国に対しては常に平身低頭、謙虚な姿勢で接することが、
日本や世界を平和に導く最上の方法だと信じていました。

けれど様々な資料を読み、事実を知っていくと、
それは日本を “都合のいい国” へと作り替えていくための戦略だということが、
少しずつ分かるようになってきました。


実際の平和を導く平和思想と平和ボケとはまったく似て非なるものです。
日本を席巻し、目先の争いをすべて回避しようとするお人好しの平和ボケ思想は、
相手を増長させ、問題をより複雑に大きくします。
それは今の世界情勢を見れば明らかです。

人類最大のターニングポイントを迎えた我々が目指す世界は、
すべてをきれいにリセットした理想世界であり、
それは “浄なる境地” です。

浄とは、すべてを水で洗い清めるとともに、
その過程で争いという葛藤を経なければ生み出すことはできません。


私は右翼や左翼という言葉が大嫌いです。
それはひとつの方向に向けた偏った力であり、
これまでその偏りによって大きな力を得てきたのでしょうが、
その中には、いったんそれに染まってしまうと、
すべてを自らで思考することなく判断してしまう恐ろしさが内包されています。

偏った極は大きな力を持ち、人を引きつけ、
自ら思考することなくそこに主体を置くことはとても楽ではありますが、
楽であるがゆえ、いつまで経っても “浄化” されることはありません。

これからの水の時代は、金属の時代のように凝り固まった思想や組織は
急速のその力と必要性を落としていきます。

求められるのは水のように自由な発想であり、
臨機応変に対処していく力です。

答はひとつではなく、人によって様々であり、
それを求めていくこと自体に価値があります。
それをステレオタイプに、
右翼左翼といった思想と合致させていく必要はないのです。

私はどんなことにでもひとつひとつ自分の考えを持っていて、
それらは右翼的思想と近いものもあれば、
左翼的なものもあります。
それが何に近いかなど、まったく問題ではないのです。


重要なのは自分で判断したかということ、
そして事実、真実は何かということです。

特に根本にある物事の真偽をあやふやにし、
そこにいくら山を築き上げようとしても、
立派で堂々とした山容を拝むことはできません。

第二次世界大戦に至り、終戦を迎えるまで、
その間の軍部を中心とした日本のあり方が正しかったのかどうなのか、
その答をここで断じることはできません。
人によって見方が異なるのは当然のことです。

けれど左翼的平和思想を持つ人たちがそのよりどころのひとつとする
日本の当時の軍人たちは戦争犯罪者であると裁いた東京裁判は、
まったく公平さを欠き、本来の裁判の体をなしていない、
戦勝国側の一方的な私刑宣告であることは100%間違いのない事実です。

その不合理な私刑宣告を正しく顧みることなく、
それを金科玉条のごとく思想の根幹に据える平和思想が、
これから恒久的な平和を生み出すことはあり得ません。


日本の戦後思想は、この東京裁判からスタートしました。
この東京裁判の真実にきちんと目を向け、
その土台となるものを再構築していかなければ、
本当の意味での戦後が始まったと言うことはできません。

これが将来に向け、正しい “リセット” をしていくための、
絶対に必要な条件です。

東京裁判において、唯一被告人の全員無罪を主張し、
裁判そのものが茶番であると断じたパール判事(パル判事)の主張は、
日本人が今最も目を向けていかなければならないものです。
  <ラダ・ビノード・パール - Wikipedia>



パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)
田中 正明

小学館 2001-10
売り上げランキング : 1747

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

日本は侵略国家だったのか ─「パル判決書」の真実 (渡部昇一ベストセレクション 歴史1)日本は侵略国家だったのか
「パル判決書」の真実
(渡部昇一ベストセレクション 歴史1)

渡部昇一

ワック 2012-02-21
売り上げランキング : 387643

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2012.9.16 Sunday  
ひとつ前へ ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.