ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



2012年9月6日

男性であり知が勝っていて、また本質的に怠惰な私にとって、
いかにやるべきことを実践し、それを継続させるかは、
人生最大の課題といっても言い過ぎではないほど大切なものです。

何かを実践するためには、まず実践を妨げるものを捨てることです。
昨日は、ふたつの手放しがたいものを手放しました。


ひとつは、大好きなスパイダーソリティアというカードゲームです。
Windowsパソコンには付属のゲームとしてあるもので、
かなりポピュラーなものだと思います。
このゲームを、昨日マイパソコンのプログラム一覧から削除しました。

私は中学、高校と学校内でお金をかけたカブや花札をやりまくり、
当時としては大金だった千円、二千円のお金のやり取りに絡むトラブルに
ほとほと嫌気がさし、そのお陰で、それ以降お金の絡むギャンブルは、
生理的に受け付けられなくなりました。

それに不思議で精妙なスピリチュアルな世界に接していると、
ギャンブルで味わう一過性のスリリングさなどは、
取るに足らない虚しい喜びに感じられます。

そのギャンブルと比べると、パソコンのカードゲームは児戯のようなものですが、
なぜかこれが面白くてはまってしまうのです。

なんでこんなに面白いのだろうと自己分析してみると、
その裏には、他のやらなければならないことからの
逃避という面があることは否定できません。
それとカードの絵柄と順番を合わせ、少しずつクリアーしていく感覚は、
部屋の中のガラクタを処分し、大切なものを整理整頓していくことと似ていて、
そこが快感なのだということに気がつきました。

けれどゲームの中で整理整頓の快感を得ても、
現実世界でのことがおろそかになってしまっては、何の意味もありません。

この快感は自分にとって習慣性を伴うものなので、
目の前のパソコンから、思い切ってショートカットボタンを削除したのです。


それともうひとつは、家での飲酒の習慣を断ち切ろうと思い、
冷蔵庫にあったビールを冷蔵庫から出しました。

毎晩一時間ちょっとお風呂に入り、しっかり体を労り、
その間体重は1キロちょっと減少しますので、
その後で飲むビールは何にも勝る極上の味わいです。

絶対にビールを飲まなければならないということはないのですが、
普通の冷水やお茶と比べると、喉ごしや爽快感は、
ビールが断然魅力的です。

けれどその一時の刺激の誘惑に耐え、他の飲み物をぐいっと飲むと、
「ビールを飲みたい!」という強い渇望感は消えてしまいます。
そのほんの一時が忍耐を要する勝負です。

昨日はイオンで買った88円のノンアルコールビールを飲みました。
ぐいぐい飲んでいる時の喉ごしと爽快感はビール(発泡酒)とほとんど変わりません。
ただ飲んだ後、喉の奥に残る味わいがちょっとだけまずいですね。
今度は少し高いアサヒかキリンのノンアルコールビールを買ってみます。

自分にとって一時でもアルコールを断つことは大切なのでしょう。
毎朝起きてすぐにパソコンの画面を見るのですが、
起き抜けはいつも視界が少しかすんだようになり、
ディスプレイの文字が読み取りにくくて苦労します。
けれど今朝はまったくそんなことはなく、しっかりと文字を読むことができました。

これは昨夜久しぶりにアルコールを抜いた効果でしょう。
それとともに、少しアルコールを控え自分のやるべきことに専念しろという、
己の内からの声であると理解しました。


本当に人から見れば実にたわいもない決心と実践ですが、
自分にとってはこれが大きな一歩なのです。

私たちは、簡単なことは簡単にでき、
簡単なことよりも難しいことの方が大切であると考えてしまいがちですが、
これはまったくもって大きな間違いです。

  簡単なことの中にこそ深い真理がある。
  簡単なことほどきちんと理解し、実践するのは難しい。


このことはいつも心にとめていることであり、
だからこそ、そのたわいもない決心と実践をここに記し、
自己決意表明としたのです。

  けどお酒を完全に断ったわけではないですよ。
  今日は清水十輝くんのライブがあり、
  会場はライブハウスですので、たぶん一杯飲みながら聴くでしょう。 (^o^)v


またまた致知の話ですが、今朝も致知を読んでいると、
心に残る言葉と出合いました。
致知は本当に素晴らしい雑誌です。

名古屋にめいらくという会社があり、
そこの社風が素晴らしいということは以前から聞いていたので、
めいらくの商品は意識して買うようにしています。

コーヒーに入れるスジャータというミルクはめいらくの商品ですが、
スジャータとは、お釈迦様が6年にもわたる苦行林での修行の後、
それを労るように乳がゆを与えた、その女性の名前なのです。
ですから乳製品の商品名としては、スジャータに勝るものはありません。

そのめいらくグループの代表である日比孝吉氏と
サムシンググレートの村上和雄先生の対談を読みました。
お二人とも天理教の信仰をもたれていて、
その信仰に基づく自然観は心にしみ入ります。

昨年、約三十年ぶりに天理にある村上先生のご実家の教会に行きました。
立派な教会の建物から、村上先生のご両親やご先祖さまが、
真摯に道を求め実践を重ねられてきた生き様が伝わってきます。

お二人の対談の中で、村上先生のこの言葉が特に心に残りました。


実は今年(2008年)、ブラジル移民百周年で、私も先日行ってきたのですが、現地では日系人が非常に評判いいんですね。日本人はよく働くし、嘘をつかない、勤勉であると。
その根本には、やはり一世の存在があるんですよ。一世は夢を抱いて海を渡りましたが、半分奴隷のような扱いを受け、少し地位が向上したところで第二次世界大戦です。敵国人ですから、刑務所に入れられる人もいました。そして敗戦。ほとんど出稼ぎをしながら、一世や二世の人たちは自分の子どもや孫に思いを託し、骨身を削る思いで大学や上級学校へ進ませた。
そうやって育てられた人たちがいまブラジルの中で大変活躍しています。人口比でみると日系人は1%以下ですが、南米で最も難関といわれているサンパウロ大学は日系人が15%も占めているんです。
そして彼らが必ず言うのが、いまの自分があるのは親のおかげだと。親が飲まず食わずで自分たちを育ててくれて、本当に苦労して学校に通わせてくれたと言います。
ブラジルにはそういう親子の麗しい関係が残っているんですね。いまの日本ではそういう感情が薄れてしまって、大学に行かせてくれたと感謝している学生は少ないと思います。そのあたりが日本の現代の乱れの元になっているのではないかと感じます。


この言葉が心に残ったのは、
以前「日本人の魂」でご紹介したメリッサ・クニヨシちゃんのことが、
今も深く心にあるからです。

彼女の歌をあれ以来何十回、何百回と聴き、
そこで感じていたことと、村上先生が語られるブラジル移民の方たちの話とが、
完全に一致したからです。

本当に大切なことは簡単なこと、そして日々の実践の中にある、
そしてそこから生まれてきたものは、
たくさんの言葉を要することなく、
ほんの一瞬でもその人の生き様に接すれば伝わってくる。

日本語を話せない、まだ八歳の日系人メリッサ・クニヨシちゃんの歌声から、
日本人の最も大切なもの、
それを守り、遠くブラジルの地で命を燃やし続けてきた移民の方たちの苦労が、
あますことなく伝わってきます。

歌ってすごい。 生き様ってすごいです。



2012.9.6 Thursesday  
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