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2012年8月25日

先のページに足の指のことを書いたので、
以前よりも足の指の動きが気になるようになりました。

鼻緒の付いたサンダルを愛用する理由を、
『鼻緒を指でギュッと挟み、足の指の動きも推進力として歩いて行くような感覚が、
 何とも健康的で心地いいのです』
と書きましたが、たしかにそのことを意識してみると、
歩いている間中、足の指がひっきりなしに動いています。

これは指の動きを推進力にするという以前に、
そうしなければサンダルが足からスポッと脱げ落ちてしまうからです。

後方にある足を上に上げる際、
つま先の部分を少し内側に曲げ、
サンダルが脱げ落ちないようにつま先で掴むようにし、
かつその動きを地面を蹴り上げる力にもするのです。

こんなふうな動きを要するのですから、
サンダル履きは普通の靴を履くよりも歩きにくいのですが、
この余分と思われる動きそのものが、
素足で二足歩行する猿人のころから備わってきた身体動作と合致するため、
生理的な心地よさを感じさせるとともに、
動物としての大切な何かを思い出させてくれるのです。

とにかく足の指を敏感にし、
それに常に役割を与え、感じられるということは、
とてもとても健康的なことです。


つい最近、平和公園北側にある市電の原爆ドーム前の電停の軌道敷内が、
芝生に覆われているのに気がつきました。



市電の軌道は道路の中央にあり、
横断歩道を渡って南側(上の写真では右側)が原爆ドーム、
北側(同左側)が二年前まで広島東洋カープの本拠地であった広島市民球場です。

通常は敷石、コンクリート、あるいはアスファルトといった
硬いもので覆われている軌道内に、
なぜ芝生が植えられているのでしょう。

ある人に尋ねると、
「役目を終えた広島市民球場の思い出として、
 そこで使われた芝生の一部を移植しているんじゃないの」
とのことでした。
なるほど、納得です。

けれどネットで調べてみるとそういったことではなく、
広島観光の拠点ともなるこの電停の景観をよくし、
放射熱によるヒートアイランド現象の抑制、騒音防止が狙いだそうです。
  <(cache) 旧球場前の軌道敷緑化へ - 中国新聞>



ほんのわずかなスペースですが、
舗装された道路の真ん中に緑の空間があるというだけで心が和みます。
こういった工夫をこれからもどんどんやっていただいて、
広島を世界に誇れる都市にしていただきたいです。


内線が激化するシリアで日本人ジャーナリストの山本美香さんが
銃弾に倒れた事件は衝撃を受けました。

時代の転換期において、対立する勢力同士の武力抗争が頻発するのは
生命を持つ歴史の必然ではありますが、
今こそ人類は力による社会の変革という仕組みから脱却しない限り、
未来の地球文明は存在し得ないように思います。

南インドでお世話になっている日本山妙法寺の石谷政雄上人も
内戦が続き銃弾が飛び交うスリランカで、
大統領による中止命令が出るにもかかわらず、
死を覚悟した平和行進を続けられました。

その後開祖の指令でインドに布教活動に行くこととなり、
現在も南インドで活動を続けておられるのですが、
石谷上人に代わりスリランカで平和行進をはじめた横塚上人は、
その十日目ぐらいにテロリストに脳天を銃弾で撃たれて亡くなられています。

命がけで非暴力の平和社会を実現しようとしている石谷上人の姿に、
これからの人類の生き方を示す何かがあるように思います。
また近いうちにインドに行き、その “何か” を感じ取ってきます。


シリアでの内戦の様子を映像で見ていると、
あれだけ荒廃し、銃撃戦が続く紛争地帯にも、
子どもや赤ちゃんを抱えた家族が暮らしていることに驚きを覚えます。

新たな地を求めて難民となっても生きるすべがないからなのか、
暮らしている家や土地に愛着があり捨てきれないのか、
その理由はディプレイ越しに窺うだけでは推察できません。
マスコミの報道では伝えきれない様々な事情があるのでしょう。

人間は冷静な頭脳ですべての物事を論理的に判断しているわけではありません。
厳しい現実と内から湧き上がってくる個人的情動の不条理さ、利害、欲望と恐怖、
様々な葛藤と闘い、それと折り合いをつけ、また誤魔化しながら生きています。

最近日本周辺の領土を巡る問題で、
隣国韓国、中国との関係がきわめて悪化してきています。

大きな利権の絡む領土問題を、互いに冷静に解決することとは難しいのですが、
ただ互いに自己の主張をぶつけているだけでは、
決して平和的解決には至りません。

ほとんどすべての日本人は、竹島、尖閣諸島は日本固有の領土だと考えています。
たぶん韓国、中国に暮らす人たちも、
竹島、尖閣は自国の領土だと考えていることは同じでしょう。

なぜこういった見解の相違が生まれるのか。
歴史認識は国や人によって違って当然だとする考えがありますが、
理科系的思考の私にはどうしても納得できません。

歴史の上で起こったことはひとつ、
それを自分たちの都合で歪曲し、時には捏造してまで
自己の主張を通そうとする動きがあるからおかしくなるのです。

日本と韓国、中国、そこで伝えられている “歴史的経緯” が異なるがゆえ、
それに基づいて生じる領土の境界線のあるべき形が変わってくるのです。

互いが正しいと考え、伝えている歴史的経緯の差異を明らかにし、
その差異はどこから生まれたのか、
またどちらがより事実に近いものなのか、
そこに論争の焦点を合わせなければ、
互いの鬱積した不満を解消する道には至りません。

日本人は世界に誇れる素晴らしい謙譲の美徳を持った民族ですが、
それが行きすぎて、外交のすべてで一歩引いて自己の主張を抑え、
何でも相手に謝罪をすれば事が丸く収まるといったこれまでの弱腰外交は、
国際間で新たな問題を生み、より複雑化させてきた大きな要因です。

学校教育では、生徒たちに意図的に現代史を教えないという
きわめて異常な状態が続いています。
まずはこの現状を改め、自国の歴史についての正しい知識を持つと同時に、
素晴らしい日本文化を身につけさせ、
異文化と対応する際のマーナーをも指導すべきです。


今日は広島市内中心部にある幟町小学校のトイレ掃除に行ってきました。
幟町は広島城の近くにあり、武家社会の頃は、
たぶん幟(のぼり)を作る職人さんたちが住んでいたのでしょう。
幟とは縁起がいいですね。
ですから選挙の時は、この幟町に選挙事務所を構える候補者が多いのです。

たくさんの保護者の方たちと体育館横のトイレを掃除させていただきました。
これが掃除前の便器です。
水道に鉄分が含まれているのでしょう、かなりの汚れ具合です。





これを約二時間、みんなで心を込めて磨き上げました。



今回はトイレ掃除を初めて経験する保護者の方が多く、
そういった方たちが、最初は抵抗のあった便器磨きを、
少しずつキレイになるとともに熱を入れて取り組むようになっていく姿を見ていると、
こちらまで新鮮な感動が蘇ってきます。

これが掃除後の便器です。
ピッカピッカになりました。 (^_^)/





暑い中、みなさん大汗をかきながら掃除に取り組まれました。
けれどその分爽快感は格別です。
この後、子どもたちがこのトイレを使う時、
キレイに生まれ変わった便器を見て、どんな気持を持つのでしょうか。
それを考えただけで疲れが吹き飛びます。

「トイレ掃除は心磨き」が合い言葉のようになっていますが、
どんなことでも、すべて個人の思い、行動が原点だと、
トイレ掃除をするたびに感じます。

2012.8.25 Saturday  
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